荒木陽子+荒木経惟『東京は、秋』を読む

 荒木陽子+荒木経惟『東京は、秋』(月曜社)を読む。本書は1972年にアラーキーが撮影し、それを二人が1983年と1984年に語ったもの。これらの写真はもう45年前になる。この年アラーキー電通を退職しフリーになるが、もう広告写真はやめたので仕事がなかった。それで東京を歩き回って街の写真を撮っていた。
 最初に三省堂から1984年に発行され、1992年に筑摩書房から再刊された。今回が3度目の発行になる。
 現在新宿のゴールデン街に続く遊歩道がまだ都電の線路跡だった。廃線になってまだ数年のころか。この頃、上野広小路にも都電の線路跡があったなんて知らなかった。
 新宿南口が裏さびれた場所で、個室のヌードスタジオがあったのは憶えている。入ったことはなかったけれど。現在エスカレーターもできていて、とても賑やかな一角になっている。渋谷の裏町を撮っている写真は、渡辺兼人の「既視の街」に通じるものがある。新宿歌舞伎町の大きな喫茶店「王城」のことは憶えている。当時はどうしてあんなに大きな喫茶店があったのだろう。どうしてみんな喫茶店に入っていたのだろう。

 寺山修司天井桟敷の写真があった。天井桟敷の建物の写真を初めて見た。木造風の小さな建物だ。こんなにチャチだったのか。寺山修司のお母さんがやっていたここのスナックのウエイターに応募したことがあった。寺山の秘書の田中未知さんと電話で話して応募を取りやめたのだった。

 有楽町の駅前にあった日劇のビルの写真がある。

妻(陽子)  これもないでしょ、日劇も。
夫(経惟)  魅力あるよな。ケーキというか王冠っていうか、平気でこんなの作っってさ。ディティールがあるもの。通ったのはこの地下ですよ、リトルクラブ。シャレてたね。しょぼい所なんだけどさ。踊り子さんが終ってカウンターに休憩に来るんだよ。それとお話しするんだよ。すごく通ふうにさ。

 日劇の最上階にある日劇ミュージックホールにも何度か通ったが、地下にあったリトルクラブも好きだった。お酒を飲みながら舞台でヌードダンサーが躍るのを見ていた。その頃、阿佐谷のアルスノーヴァという小ホールで芝居の公演をしていた黙示体というアングラ劇団があった。そこの主演女優兼脚本家をしている花輪あやが、あるときリトルクラブに出演して踊っていたことがあった。芸名を変えていたがすぐに分かった私は「がんばれ! 黙示体」と声をかけた。そこの踊子たちは舞台の踊りが済んだあとは客のテーブルに近づき、客のすぐそばで踊ってサービスをするのが通例だったが、彼女は私と後輩が座っている席には近づこうともしなかった。黙示体の舞台ではいつも上半身裸だったし、まさかヌードダンスをしているのを恥じているとは思わなかったのだ。悪いことをしてしまった。その後黙示体の公演はもうなかったと思う。


東京は、秋

東京は、秋