山口拓夢『短歌で読む哲学史』(田畑ブックレット)を読む。田畑書店が新しく始めた叢書でその第1号。かなり力を入れているらしく価格がたったの1,300円+税。136ぺージとはいえ、1万部くらい刷っているのではないか。帯の文句が「短歌を手がかりに、たった136ページで西洋哲学史のダイナミックな流れが体感できる。」とあり、さらに大きな活字で「私たちには”短歌”というスグレモノのZIPフォーマットがあった!」とある。
期待して読んでみた。「はじめに」が簡略ながら、手際の良い西洋哲学史概論になっている。ますます期待が高まる。
その短歌を見る。
万物にある共通のみなもとの正体探り哲学始まる (タレス)
万物のもとは水だと言うけれど無限定ではなぜいけないか (アナクシマンドロス)
天空は調べを奏でその謎は数字の中に込められている (ピュタゴラス)
この男自分が無知と知っているその一点で他よりも賢い (ソクラテス)
それよりも偉大なものは何もない神は必ず実際にある (アウグスティヌス)
疑ってすべてを疑い尽くしても疑っているわれは消えない (デカルト)
神という精神が自己を顕わして歴史のなかで展開をする (ヘーゲル)
語りえぬことについては沈黙し口を閉ざしてそっと見守る (ウィトゲンシュタイン)
ものごとを立ち現せる「在る」というはたらきに目をじっと凝らそう (ハイデガー)
人間は充足せずに自らを未来に向けて投げ出してゆけ (サルトル)
それぞれの時代を暗に規定する知の枠組みの変遷を知る (フーコー)
これらは短歌だろうか? いやせいぜい短歌形式にすぎない。これらの短歌(?)を見出しにして、哲学者の思想を紹介している。本文125ぺージ、取り上げられた哲学者73人、平均1人1.7ぺージ。多くページ数が割り当てられている哲学者を多い方から上げると、フーコー7.5ぺージ、ラカン6.5ぺージ、ハイデガー5ぺージ、バルト4.5ぺージ、ソクラテス4ぺージのようになっている。
ヘーゲルの項を全文引く。
神という精神が自己を顕わして歴史のなかで展開をする
【精神現象学】のなかでG・W・F・ヘーゲルは、感性で「いま、ここ、これを捉える意識の出発点から、絶対者である神を知る、絶対知までの道のりを辿ります。この道を意識は小説の主人公のように、自ら成長しつつ辿って行きます。意識がどのような考えによって何を知るかに応じて、知性のあり方が変化して行きます。個人の意識の遍歴が、人間精神の歴史に重ね合わせられて、論じられます。
個人の意識の発達と同じく、歴史は絶対精神である神の自己展開の場でもあります。ヘーゲルは神の自己意識が人間の神意識と等しく、神にとっての人間の自己意識にも等しいと考えます。神が自分を自己認識することが、人間が神を知る歴史であり、人が神という絶対知に至ることでもあるのです。神は自己を分裂させて自己とは別の物となり、主体として自己を改めて知り、自己を回復します。哲学は意識を神の知という絶対知へ導く、真の精神すなわち神の自己展開の場であります。
神は歴史と哲学の場において自らを開示するとヘーゲルは考えます。歴史がナポレオンに至り、哲学がヘーゲルに至る時点で神の自己展開は頂点に至ろうとヘーゲルは考えていました。
これでヘーゲルが分かるだろうか。改めて本書を分類すれば、西洋哲学小事典といったところだろうか。しかし中途半端なのだ。短歌と称する見出しがなければあまりに簡単すぎる哲学書だ。
著者が「あとがき」で、コンパクトな哲学史にするために、パスカルやルソーなど大きな学説を唱えなかった随筆家的な哲学者や、哲学としては傍流のマルクス、フロイト、ソシュールなどは省いたとある。それらを省くべきではなかったと私は思う。
さらに言えば、人名索引、事項索引がないのも評価を低くしている。これらは必須なのだから。

- 作者: 山口拓夢
- 出版社/メーカー: 田畑書店
- 発売日: 2017/01/20
- メディア: 単行本
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