エロスは文化に規定されている

 井上寿一吉田茂と昭和史」(講談社現代新書)に興味深い記述がある。

 日中戦争下の日本は、戦争景気に湧いていた。富める者はますます富んでいた。富める上流階級が購読していた雑誌の一つに「ホーム・ライフ」がある。このライフスタイルマガジンが描く上流階級の生活から、日本が戦時下にあることを想像するのは難しい。(中略)
 戦時下、戦争景気に湧きながらも、上流階級の消費行動に心理的なブレーキがかかっていた。代わりに相対的に下流階級だった消費者の購買力の向上が実用品の需要拡大をもたらしていた。消費社会においても平準化が進行していた。(中略)
 社会の平準化はライフスタイルの変動を促す。良家の子女の優雅なライフスタイルマガジンだったこの雑誌にも、都会の女学校の生徒が農村で耕作実習に励む様子を伝えるようになった(「ホーム・ライフ」昭和13年4月号)。「女は強く、美しく」という記事は、上半身裸で乾布摩擦をする女学生や「武士道を再現している」女性のフェンシング熱を紹介している(同書)。

 この「上半身裸で乾布摩擦をする女学生」の写真を別の本で見た覚えがある。大勢の女学生が乳房を丸出しにして乾布摩擦をしていた。そんな過激なことが誰からもクレームを付けられずに可能だったのは、そのことがエロスと無関係だったからだ。当時、女学生が上半身裸で乾布摩擦をすることは少しもエロティックなことではなかったのだ。現代だったら確実にスキャンダルなのに。それは何を意味するか。エロスでさえ文化に規定されていることだ。
 巨乳を好む文化でさえ、日本ではたかだか数十年の歴史を持つにすぎない。巨乳文化先進国のアメリカでさえ、まだ100年の歴史もないだろう。そのことは以前「どうして男たちは巨乳を好むのかーー巨乳論の試み」(2007年6月20日)に書いた。
 私たち男は本能によって女性の乳房を好むのだと思っている。そうではなかったことを、私たちの文化が乳房を好むことを強いていることを、これらのエピソードが示しているのだ。