何が美人を決めるのか


 最近よく見かけるアコムの広告だ。モデルは江波戸ミロという女優の卵、これから1年間かけてだんだん顔を見せていくらしい。アコムのイメージキャラクターからは小野真弓が芸能界にデビューしている。
 この広告、眼だけを出している。美の基準は眼だと思われているが、実は口なのだ。それを私は30年前の資生堂の広告で知った。警察の犯人を捜す写真のモンタージュの手法で眼や鼻や口を入れ替えるやり方を示して、資生堂の広告では美人を決めるのは口なのだと結論する。どんな顔でも美人の口の写真を組み合わせれば美人ができあがる。逆に美人の眼でも組み合わせる口によっては美しくなくなるのだ。
 で、アコムの広告に戻ると、江波戸ミロがどんなに美しかったとしても、この眼だけの写真からは強い印象を与えることができないのだ。やはり口が必要なのだろう。
 フランスのヌーヴォー・ロマンの作家フィリップ・ソレルスの処女作「奇妙な孤独」に次のようなくだりがある(40年前に読んでうろ覚えだが)。「恋は盲目だなんて何という冗談だ。眼差しこそがすべてだというのに。」
ふっふっふっ、ソレルス君まだまだ若かったね、唇こそがすべてなのだよ。