マスクで覆った顔は・・・

 コロナ禍のためマスクの着用が推奨されている。ほとんどの人がマスクを付けていて、さすがに知人では誰か分からないと言うことはない。しかし、あまり知らない人やテレビでたまに見る人も誰か分からないことが多い。
 面白かったのは、美人の知人がマスクをしているとさほど魅力的に見えなかったり、特にはきれいとは思わなかった知人が美人ぽく見えたことだ。これは何を意味しているのだろう。
 フィリップ・ソレルスが『奇妙な孤独』でこう書いていた。

恋が盲目だなんて何という冗談だ。眼差しこそがすべてだと言うのに。

 ソレルスがこれを書いたのは弱冠22歳のときだった。ソレルスは天才だが、人生が分かるには少し早かった。「眼差しこそがすべて」というのは正しくない。
 もう40年以上前になるが、資生堂が大きな新聞広告を出した。女性の顔のイラストで、顔の上半分のイラストに対して、さまざまな顔の下半分を提示し、その組み合わせによって美醜が代わってくる。上半分の顔は変わらないのに、下半分の顔を組合せることで大きく変わるのだ。つまり、資生堂の広告はそのことを基に、美人かどうかは眼ではなく唇で決まると書いていた。知人の女性画家も、化粧を指導してくれた化粧店員が唇の化粧が大事なのよと教えてくれたと語っていた。
 私もブログでこのことについて書いたことがある。

警察の犯人を捜す写真のモンタージュの手法で眼や鼻や口を入れ替えるやり方を示して、資生堂の広告では美人を決めるのは口なのだと結論する。どんな顔でも美人の口の写真を組み合わせれば美人ができあがる。逆に美人の眼でも組み合わせる口によっては美しくなくなるのだ。

 だからマスクで顔半分を隠してしまうと、特徴が消えてしまうのだ。誰だか分からなくなる。そして美人か否かは口の形で決まるのだった。