ヴァレリー・アファナシエフ『ピアニストは語る』(講談社現代新書)を読む。アファナシエフはロシア(旧ソ連)出身のピアニスト、1968年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝し、のちにベルギーに亡命した。数年前にも『ピアニストのノート』(講談社選書メチエ)を出版している。小説も執筆しているそうだが、私は読んだことはない。
本書は東京目白台の蕉雨園で、質問者に答える形式で語ったもの。前半が「人生」と題された章で、非常に率直に自分の生い立ちやピアノの教師などのこと、亡命に至った経緯を語っている。
ピアノを趣味で弾いていた母が、アファナシエフが6歳のときにレッスンを始めた。プロのピアニストになれば外国へ行くことができるというのが大きな動機だった。
本当は数学者か物理学者になりたかったが、数学オリンピックに落ちて、その道はあきらめなければならなかった。そしてフルトヴェングラーのワーグナーのオペラのレコード『ワルキューレ』と『トリスタンとイゾルデ』を聴いて圧倒される。また当時のお気に入りのピアニストはセルゲイ・ラフマニノフだった。もう一人尊敬するピアニストはエミール・ギレリスで、ギレリスにはその後師事した。
アファナシエフはモスクワ音楽院でヤコブ・ザークに師事したが、それ以前に出会った教師がルバックだった。ルバックはホロヴィッツを教えたブルーメンフェルトの弟子だった。つまりホロヴィッツと兄弟弟子になる。ルバックは非常に優秀なピアニストだったが、教え子の女性とのスキャンダルで音楽学校を失脚する。アファナシエフはルバックを通じてホロヴィッツと同じ系統に属しているという。
……初めてテレビでホロヴィッツの演奏を見て、彼が手を平らにして指を伸ばしてピアノを弾いているのを目にしたとき、ようやく自分の演奏法のルーツがわかりました。
バッハ国際コンクールに参加する前にもルバックに個人教授をしてもらった。アファナシエフはこのコンクールで優勝した。それでエリザベート王妃国際音楽コンクールへ参加することができたのだった。
ザークのあとでギレリスに師事する。2年間の短い間だったという。アファナシエフはギレリスを極めて高く評価するが、それに比べてリヒテルについてはあまり評価しない。
第2部は「音楽」と題されている。2015年にドイツでベートーヴェンのピアノソナタ3曲『悲愴』『月光』『熱情』を録音したことが話題にされる。これらの曲の演奏法について、テンポやハーモニーやメロディなど、他のピアニストと比較したりして詳しく語られる。それがやや専門的でありながらも面白い。
質問者 では、過去と現在において、あなたが考える偉大なピアニストとは誰ですか?
アファナシエフ ブゾーニ、ラフマニノフ、コルトー、シュナーベル、ギーゼキング、ソフロニツキー、ホロヴィッツ、ギレリス、グールド、ミケランジェリ。現代では、エフゲニー・コロリオフとセルゲイ・カスプロフですね。
べつのところで、トスカニーニこそが私の人生に非常に大きな役割をもっています、と言っている。またショスタコーヴィッチをあまり高く評価していない。
対談者(質問者)の名前が目次にも奥付にもなく誰だろうと思っていたら、末尾の「おわりに」で、青澤隆明だったと明かされる。対談は英語で行われ、翻訳は第1部が山崎比呂志、第2部を青澤が行ったと。青澤は以前『現代のピアニスト30』(ちくま新書)を読んで、ペダンチックなひどい文章を書く音楽評論家どと思っていたが、さすがに対談者としては的確な質問をしているし、翻訳の文章も違和感はなかった。
総じて楽しい読書だった。
- 作者: ヴァレリー・アファナシエフ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/09/15
- メディア: 新書
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