府中美術館の小山田二郎展を見る


 府中美術館で小山田二郎展が開かれている(2月22日まで)。
 最近読んでいるドナルド・キーン/角地幸男・訳『日本文学史 近代現代篇五』(中公文庫)の「太宰治無頼派」の項で、キーンが織田作之助について書いている。

堕落論』で知られる坂口安吾は、太宰ほど広く信奉者を持たなかったが、やはり同じ系統の読者達に受けた。織田作之助は、太宰や坂口に比べれば二流の作家だが、その作品のためというよりはむしろ破れかぶれとも見える短命な一生のために知られていて、大阪の庶民の生活を描いた数篇はいまだ読みつがれている。

 キーンがこの「無頼派」の項で太宰のほかに小見出しを立てて論じているのは、坂口安吾織田作之助石川淳の3人で、檀一雄檀ふみの父)は小見出しにも取り上げられなかった。すると、取り上げられた織田作は二流と評されてもそれなりに評価されているということか。
 府中美術館で小山田二郎展を見て、まさか小山田のことを二流だなどと思ったわけではないが、ふとキーンの文章を思い出したのだった。
 私が小山田二郎のことを知ったのは、1992年だったか朝日新聞針生一郎さんが、小山田二郎という優れた画家が亡くなったのにどこも回顧展を企画していないと書いた記事からだった。おそらくその言葉を受けて1994年に小田急美術館で小山田二郎展が開かれ、2005年には東京ステーションギャラリーでも再度開かれた。どちらも見てきたから、府中市での個展は3回目になる。
 幼少のとき難病にかかり、次第に下唇が腫れあがり顔中に痣が浮かぶようになった。写真で見る限りとても痛ましい顔になっている。野見山も小山田の顔について書いている。野見山暁治が渡仏するとき、堀内規次や小山田二郎と高円寺の屋台で別離の酒を飲んだ。渡航の準備があるので、終電を気にしていた野見山に二人は朝まで飲むのだと息巻いた。

終電がなくなるというので私は気が気ではなく、小山田二郎は朝まで私と飲むのだと意気まいてどうにもならず、私が姿をくらますと、とうとう駅まで追っかけてきた。小山田二郎が酔っぱらって深夜、友だちを呼ぶ声に、待合室にいた人たちは、一瞬信じられないような怯え方をした。人々は彼の絵の登場人物にそっくりの異様な顔をそこに見たのだ。私は駅の外の暗い物かげにひそんで、四角い窓ガラスのなかに浮き出ている光りと、人々の視線にさらされた小山田二郎に、やりきれない友情につまされながらも、彼の画面そっくりのきらびやかな影にこの世ならぬ幻覚を覚えていた。
              『四百字のデッサン』から

 小山田は小山田チカエと結婚するが、57歳の時に失踪し以後小堀令子とひっそりと暮らした。公の場にはまったく姿を見せず、個展の会場にも現れることはなかった。チカエを知っている人が、あれでは誰でも逃げ出したくなるよと言っていた。私も一度ミハラヤ画廊で個展を開いているチカエさんに会って話したことがあったが、大変な人だという印象を持った。
 小山田の代表作は鳥女シリーズだ。小山田の病気の下顎から生まれたような鳥の顔を持った人の姿は痛ましく、残酷な印象で、同時にそれが美しい色彩で描かれている。鳥女は小山田自身でもありながら、人間の根源的な悲惨をも表しているのだろう。優れた画家だと思う。
 それでありながら、冒頭にキーンの文章を置いたのは、小山田の作品に何かが不足している印象があるからだ。それは何だろう? 小山田の作品からは強いメッセージが伝わってくる。決して生なものではなく、それをみごとに造形化もしている。色彩も美しい。たぶん私が不満に思ったのは、造形的な展開ではないだろうか。いや、それは求めすぎなんだろう。
 府中駅からは100円のバスが出ている。帰りは東府中駅まで歩けば、途中の公園に設置されている保田春彦の大きな彫刻や、柳原義達のカラスの彫刻を見ることができる。
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小山田二郎
2014年11月8日(土)ー2015年2月22日(日)
10:00−17:00(月曜休館)
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府中市美術館
東京都府中市浅間待ち1-3
ハローダイヤル03-5777-8600
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/