「箱組み」という高等技術があった


 写真は先月銀座1丁目のギャラリー巷房・2で行われた寺山偏陸展の案内ハガキだ。偏陸は本名でヘンリックと読み、父親が子どもたちに欧米人のような名前をつけたのだという。姓が寺山なのは、寺山修司が亡くなったあと、天井桟敷の劇団員だった偏陸を寺山のお母さんが養子にしたためだ。以前、森崎偏陸と言った頃の個展を紹介したことがあった。そのエントリーから、

 偏陸さんにいろいろ質問すると、プロフィールと題されたちらしをくれた。1949年生まれ、何と5男7女の12人兄弟の12番目。兄弟の名前が、ルピ、安利(アンリ)、ローザ、ペトラ、アンナ、ニーナ、ルイズ、エリー、実生(ミハエル)、照武(テルム)、成自(ジュージ)、偏陸(ヘンリック)で、男には漢字を与えている。
森崎偏陸展を見た!(2008年10月25日)

 さて、このハガキのことだ。下に「へんりっく味噌」と大きく書かれていて、その上に小さな文字で何やらごたごた書かれている。これはこの個展で「へんりっく味噌」を展示販売することを案内している。この小さな文字が真四角に並べられていることに注目してほしい。文章の頭が左上にあるのは当然だが、文章の末尾が右下にきて最後の句点「。」で真四角に収まっている。このレイアウトを「箱組み」と言った。
 活版時代にはこの方法は難しかった。活版では文字と文字の間を埋める詰め物は、全角、半角、四分くらいしか無かったからだ。それが写植(写真植字)になって一変する。写植は文字の大きさも字間(文字と文字の間)も1/4mmが単位となった。この空きを1H(波=は)と言った。1〜2Hの空きは目立たないので、適度に字間を空ければこの「箱組み」が可能になるのだった。「箱組み」は写植のオペレーターにとって、ちょっとした高等技術なのだ。文字数も関係するので、少ない文字数の原稿ではなかなか難しかったが。
 それがDTP(デスク・トップ・パブリッシング)、即ちパソコンでレイアウトするようになると、字間の単位はもっと細かくなって、ソフトが自由に並べてくれるようになった。もう「箱組み」は簡単な技術になってしまった。箱組みのことを知っている人間も少なくなっただろう。
 そう言えば、古いデザイナーがこの頃のデザイナーは烏口が使えないと嘆いていた。次の世代のデザイナーがこの頃のデザイナーはロットリングが使えないと批判していた。最近のデザイナーは烏口もロットリングも使わないで、パソコンのソフトできれいなケイ(線のこと)を引いている。それに似たエピソードだ。
 技術の進歩は名人芸を置き去りにする。
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※当初「箱組み」のことを「箱打ち」と書いていた。私の思い違いだった。ここに訂正します。(2013年2月6日)