『棺一基 大道寺将司全句集』を読む

 大道寺将司全句集『棺一基』(太田出版)を読む。朝日新聞田中優子の書評が掲載され(2012年6月17日)、それを読んだのがきっかけだった。

 『棺一基』という書名は、本書の中の句「棺一基(かんいっき)四顧(しこ)茫々(ぼうぼう)と霞みけり」から採られた。霞は春の季語。「四顧」とあるからには、そこにまわりを見渡す者がいる。それは誰なのか? 木棺に横たわる死者か。
 私はここに、霞の中にたたずんで自らの屍が入っている棺をみつめる、死者その人のまなざしを感じる。白い闇が際限なく広がる。その中心に木棺が一基のみ、孤絶に、そこにある。このように死と向き合って一日一日を生きる。それが死刑囚の毎日だ。
 大道寺将司は「東アジア反日武装戦線」のなかの「狼」というグループのメンバーだった。1974年の三菱重工爆破事件で逮捕され、死刑が確定している。この直前、狼は昭和天皇お召し列車の爆破を計画し、未遂に終わった。それは「虹作戦」と呼ばれていた。(中略)
 序文と跋文を辺見庸が書いている。一読の価値大いにあり。それこそこの句集のもっとも見事な書評であって、それを越えることはできない。

 印象に残った句をいくつか書き出してみる。

凍蝶(いててふ)や監獄の壁越えられず
雲の峰絶顛(ぜってん)にして崩れけり
     母の死、荒井幹夫さん逝去の翌日
その時の来て母還る木下闇(こしたやみ)
初蛍異界の闇を深くせり
鬼ならぬ身の鬼として逝く秋か
後の世は野天に啼けよきりぎりす
生まれきてなにを愉しむ寒海鼠(かんなまこ)
今日が日をまた越えにけり法師蝉(ほうしぜみ)
蛇として生まれし生を存(ながら)ふる
縄跳びに入れ損ねたる冬日かな
仮の世に命ある身の寒さかな
枯蓮の陰に色沢(しきたく)残りけり

 巻末に辺見庸のエッセイが収録されているが、そこに大道寺の文章が引用されている。

 視察窓からだけではなく、終日天井からも監視されているような狭い独房に閉じ込められ、何をするにも制約を受けるのに、なぜ、それでも生きようとするのか、と思う人がいるかもしれません。
 しかし、人は、どんな状況に置かれても生きる喜びを見出すことができるものです。娑婆で生活する人たちにとっては取るに足らないような事々、たとえば、鉄格子ごしに見る月や星も、換気口から入ってくる小さなコオロギも心を温めてくれるものです。そして、獄外の人たちが見失っているものを、死刑囚だからこそ感じとることができるかもしれません。

 1974年、大道寺将司の起こした三菱重工本社ビル爆破事件では、死者8人、重軽傷者300人以上だったという。1975年逮捕され、1979年東京地裁で死刑判決、1987年最高裁で死刑が確定した。以来25年間刑の執行に備えようとしている。逮捕されてからはもう37年になる。大道寺は私と同い年だから今年64歳なのだ。
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 1997年8月1日に『無知の涙』を書いた死刑囚永山則夫の刑が執行された。その時のことを大道寺が詠んだ句がある。

     東京拘置所永山則夫君ら2名の処刑があった朝
夏深し魂消る(たまぎる)声の残りけり

 この時のことについて、大道寺が書いている。

 8月1日(金)の朝、9時前ごろだったか、隣の舎棟から絶叫が聞こえました。抗議の声のようだったとしかわかりませんが、外国語ではありませんでした。そして、その声はすぐにくぐもったものになって聞こえなくなったので、まさか処刑場に引き立てられた人が上げた声ではないだろうなと案じていました。

 それが永山則夫の叫びだったようなのだ。もし私が同じような状況になったとき、どんな態度をとるだろうか。
 連合赤軍の死刑囚坂口弘の歌集に劣らず、これまたすごい句集だ。読みながら圧倒されていた。



棺一基 大道寺将司全句集

棺一基 大道寺将司全句集