中野淳『青い絵具の匂い』を読む

 中野淳『青い絵具の匂い』(中公文庫)を読む。副題が「松本竣介と私」、武蔵野美術大学名誉教授の中野淳が、若い頃私淑した松本の思い出を書いている。とても良い評伝だ。中野は松本より13歳下になる。それは私淑するには良い年齢差だ。中野は書く。「若き日に松本竣介の絵と人に出会い、触発されたことは、画家人生の倖せであると思う」。中野が画家であるため、松本の生活や発言ばかりでなく作風の変遷や技法についても詳しく書いている。
 松本はほとんど無名のまま昭和23年に36歳で亡くなってしまった。死後、松本の評価はとても高くなっている。針生一郎さんは、戦後の作家で最も良いと思うのは、鶴岡政男と松本俊介、麻生三郎の3人だと言われた。その松本と麻生は親しい友人だった。
 松本の印象に残る言葉。

「現実がそのままで美しかったなら、絵も文学も生まれはしなかった。そして現実の生活の一部分にでも共感するものがなかったなら、文章も絵も作られはしない」
 これは松本さんの文章の一節だが、その信条通り美しい絵と多くの文章を残した。「彫刻と女」「建物」は最後の美しい絵だと思う。

 本書に野見山暁治が渡仏する前夜の送別会のことが書かれている。

 ある晩、堀内(規次)の発案で、同じ自由美術の野見山暁治が渡仏するので、小山田(二郎)さんと私が加わり荻窪の酒場で送別会をした。送る方は羨む気持半分で酒を呷っているが、主賓の野見山さんは浮かない顔をしている。帰国後の話では、翌朝早く渡航手続で外務省へ行くので落ちつかなかったという。そのとき酒場の女性が、小山田さんの顔をしきりに盗み見しているのへ「俺の顔は見世物じゃあないぞ」と怒鳴ったが本気でなく、その顔は屈託なく笑っていた。

 同じ夜のことを野見山暁治も『四百字のデッサン』で書いている。

私は高円寺の屋台で、堀内規次や小山田二郎と別離の酒を飲みながら、いつまでも侍になれない人間同士のウサをかこつような酔い方をした。1年ほど前から画策していたフランス行きがようやく具体化し、私はもうあと2,3日で横浜から出航のフランス船に乗ることになっていたのだ。もともと自由美術に私を誘ったのは堀内だった。私がフランスに行くと決ってから、堀内は淋しさと口惜しさでよく飲んだ。終電がなくなるというので私は気が気ではなく、小山田二郎は朝まで私と飲むのだと意気まいてどうにもならず、私が姿をくらますと、とうとう駅まで追っかけてきた。小山田二郎が酔っぱらって深夜、友だちを呼ぶ声に、待合室にいた人たちは、一瞬信じられないような怯え方をした。人々は彼の絵の登場人物にそっくりの異様な顔をそこに見たのだ。私は駅の外の暗い物かげにひそんで、四角い窓ガラスのなかに浮き出ている光りと、人々の視線にさらされた小山田二郎に、やりきれない友情につまされながらも、彼の画面そっくりのきらびやかな影にこの世ならぬ幻覚を覚えていた。

 中野と野見山はそれぞれ荻窪だ、高円寺だと書いている。もうそんなに時間が経ってしまっているのだ。
 この秋、11月に世田谷美術館松本竣介展が開かれる。まとめて松本竣介が見られるのはとても楽しみだ。鶴岡政男展もどこかで企画してくれないだろうか。

青い絵具の匂い - 松本竣介と私 (中公文庫)

青い絵具の匂い - 松本竣介と私 (中公文庫)