高橋睦郎『日本の近代詩を読む』(平凡社ライブラリー)を読む。森鴎外、北村透谷、島崎藤村などから西脇順三郎まで、いわゆる近代詩人たち27人を取り上げて、高橋が代表作と考える詩を冒頭に置いてそれを分析している。優れた現代詩人高橋の分析は見事で、その読みは深くそこらへんの詩の解説書が恥ずかしくて逃げていくレベル。
薄田泣菫の「ああ大和にしあらましかば」について、
私は音律のことばかりをいったが、藤村よりはるかに複雑な音律に乗ったイメージやニュアンスがさらに複雑で魅力に富んでいることは、いうまでもない。とにかく明治という近代詩の出発の時代、いや、大正という幻想の時代、昭和という挫折の時代まで拡げても、「ああ大和にしあらましかば」に匹敵する完成度の高い日本語詩はないのではなかろうか。
北原白秋について、
日本近代史を代表する詩人を一人だけ挙げよといわれたら、さまざまな解答がありうるだろう。しかし、身をもって体現したとなると、北原白秋ということになるのではないだろうか。
(中略)
(……)今日の目から見ていささか低く見えようとも、当時の近代日本語の表現力の発達段階でヨーロッパ的詩想を血肉化するちょうどいい位置に白秋の言葉の才があった。当時ちょうどいいということは、のちには低くなるということだ。朔太郎の登場ののちには白秋はどうしようもなく古くなる。そこで『水墨集』の枯淡を演じ、さらに『海豹と雲』で新風にも無関心でないことを演じてみせる。しかし、新しさがわかることと新しいこととは違う。
伊東静雄について、
『わがひとに与ふる哀歌』は恋愛詩集のかたちをした非恋愛詩であり、その真実は注意ぶかい少数の読者にのみ開かれている。(……)「わがひとに与ふる哀歌」の「わがひと」とは自分から見たもうひとりの自分のことであり、またもうひとりの自分から見た自分のことでもある。(『万葉集』の相聞の伝統に則って)『わがひとに与ふる哀歌』も自分ともうひとりの自分との対話のかたちをとる。その意味では、詩集『わがひとに与ふる哀歌』を相聞詩集、それも卓れて近代的な相聞詩集と規定することも可能だろう。
詩人は自分ともうひとりの自分との相克葛藤を西洋の伝統である対話の方法で28篇の詩形式にドラマ化し、これを母国の伝統の相聞のかたちに纏めた(28篇中2篇が読人不知となっていることも注意ぶかい読者のための布石だろう)。その結果は日本近代詩の歴史上類例を見ない一種の思想詩集となった。(……)この思想詩集=相聞詩集がいわゆる恋愛詩集にましてはるかに魅力的な理由も、そこにあろう。
中野重治について、
芸術は宗教ではない。まして倫理であるはずがない。だから、芸術家の魂の清らかさがその作品の質の高さの保証とはなりえない。詩人とその詩作品との関係も例外ではない。
しかし、その詩作品の質の高さがその魂の清らかさと切り離すわけにいかない詩人があるものだ。私見によれば、日本近代詩ではそうした詩人が少なくとも二人ある。一人は宮沢賢治、いま一人は中野重治だ。
西脇順三郎について。順三郎は日本語で詩を書くということは古めかしい文学語とか雅文体で書かなければならないと信じていた。それを雅文調で書かなくてもいいものであるということを教えてもらった先生は萩原朔太郎であった、と書く。
しかし、順三郎は朔太郎を無選択に受け容れたわけではない。順三郎が受け容れたのは朔太郎のおよそ日本語の約束を無視した粗放不安定な語法という一面であって、もう一面の風土的な感傷性については意図的に排除している。ここに感傷なき萩原朔太郎ともいうべき西脇順三郎の文体が生まれる。
しかし、朔太郎の影響はいわば駄目押しで、順三郎の文体を作ったのは外国語での詩作練習と意図した直訳体ではないだろうか。いわば挫折から出発したことで、この覚めた詩人は挫折とは無縁な文体を自分のものにしたことになろうか。
素晴らしい詩人論だ。私には特に伊東静雄論が強く印象に残った。こんな風に読むなんて、今まで何を読んでいたのだろう。
