平井玄『愛と憎しみの新宿』を読んで

 平井玄『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)を読む。副題が「半径一キロの日本近代史」というもの。近代史という言葉を現代史に換えれば、内容をよく表しているといえる。著者は1952年生まれ、新宿二丁目クリーニング屋の息子、名門の都立新宿高校を経て早稲田大学に入りそこを中退している。私がよく行く新宿二丁目のギャラリーポルトリブレのオーナーで画家の平井勝正さんのお兄さんだという。
 実家のクリーニング屋を中心に半径1kmの60年代後半以降の文化が紹介されている。著者は私より4歳年下で新宿で育っている。だから私が20歳で上京しておずおずと暗い入口を覗いたジャズ喫茶に、その同じ年に高校生でありながら、もう日常的に、それも代表的なジャズ喫茶ピットインに出入りしている。フーテン族のメッカだった風月堂も庭にしているようだ。ゴダール大島渚を上映していたアートシアター(ATG)や、その地下にあった蠍座なども常連として通っていたという。
 ラーメン屋や天ぷら屋、ジャズ喫茶や飲み屋など、今はもうない当時の街の情報がやけに詳しい。「天栄」のイカ天が150円だった。

 新宿駅を中央口に出て、三越裏の中央通りを真っすぐに明治通りの方に行くと、風月堂のワンブロック手前の右に「天栄」という天丼屋がある。天ぷらといってもイカ天丼とかき揚げ天丼の二品だけ。ドアはアルミ製、壁はベニヤで、6畳ほどの客席と4畳半くらいの調理場の店舗は外からは工事現場の仮設食堂に見えた。ところが、このイカ天が「美味い、安い、早い、でかい」ことこの上ない。イカかき揚げも丼から飛び出すほどでっかい。まだ牛丼屋はなかった。150円のイカが2本載ったこの丼で腹が埋まれば、Gパンのポケットに千円札1枚もない酔っぱらいたちはたちまち転がるようにして酒場に向かったのである。(後略)

 同じころ、新宿西口のションベン横丁のイカ天丼が130円だったと思う。
 ほかに若松孝二の映画が詳しく語られる。澁澤龍彦種村季弘が常連だった伝説のバー「ナジャ」も実家のクリーニング屋の近くで、ご用聞きとして通っていた。新宿2丁目にも住んでいた夏目漱石について書かれた第5章はやや異質な感がある。
 地方から出てきて、東京、新宿を知った田舎者の私なんかと違って、著者は子どもの頃からそのディープな新宿で育って、その街を内側から眺めている。そんな眺望がなかなか新鮮だった。ただ、ときにその修辞が過剰なところも少々気になったが。

愛と憎しみの新宿 半径一キロの日本近代史 (ちくま新書)

愛と憎しみの新宿 半径一キロの日本近代史 (ちくま新書)