ラッセンを歌った立花開の短歌

 1993年愛知県生まれの高校3年生の立花開(はるき)が第57回角川短歌賞を受賞した。その作品から、


ラッセンが以前飾られていた部屋微かに海がまだ鳴っている

 彼女が歌っているラッセンは版画家で、版画とはいえ数十万円もした。ヒロ・ヤマガタも同様だった。なかなか普通の家の壁に飾られているというものではない。と言って金持ちの家にも飾られることはない。その家が趣味の悪い成金でなければ。
 「以前飾られていた部屋」という言い方には微妙だが自宅ではない雰囲気がある。飾られていて、それを取り外したという行為に、彼女が直接関与していないというニュアンスがある。どういう状況が想定されるだろう。
 彼氏の家とか部屋だろうか。あるいは彼氏ではなく親しくしていた先生だろうか。そのようなちょっと微妙な関係が想像される。
 ラッセンは大きな魚などが泳いでいる海を描いていた。その記憶から「微かに海がまだ鳴っている」と詠んだのだろう。だが、海の絵があっただけで「まだ鳴っている」と詠むだろうか。海が鳴ったような思い出があったのではないか。ラッセンの海の絵と重なるそのような思い出、体験。
 ここまで書いた後、朝日新聞11月21日の「短歌時評」でも加藤英彦が「ふたつの新人賞から」と題して短歌研究新人賞を受賞した馬場めぐみと角川短歌賞を受賞した立花開を紹介していた。立花開の作品、

やわらかく監禁されて降る雨に窓辺にもたれた一人、教室


……今年、角川短歌賞を受賞した立花開の作品。18歳の高校生である。彼女もまた世界を閉ざされたまま、行き場を失った心を抱いて教室の窓辺にいる。(中略)


抱きしめる君の背中に我が腕をまわして白い碇を下ろす


 立花は恋人を自らの腕の中に繋ぎとめることで(中略)かろうじて自己を回復しようとする。

 朝日歌壇と言えば最近はそこに小学生の歌がしばしば選ばれている。それも複数の選者に。どんなに上手くてもやはり小学生だ。言葉も感性も子供のそれに過ぎない。ここは大人の投稿者にその場所を譲るべきだ。もし将来の歌人の育成のためと考えるなら、朝日歌壇はその場所ではないだろう。