狩野博幸「江戸絵画の不都合な真実」(筑摩選書)については昨日紹介したが、あちこちに面白いエピソードが散りばめられていた。ここではそれらを拾ってみる。まず岸駒の項で、
近世随筆において質量ともに他を圧する『翁草』全200巻の著者・神沢貞幹(1710-95)は、京都町奉行所の与力を長年つとめて洛中洛外の諸事情を知悉し、杜口という俳名があるように市井の隅々にまで目の利いた文人であった(ちなみに、『翁草』には杜口の追い続けた未確認飛行物体、U.F.Oの記録も詳細に述べられているが、これについて誰か指摘しているのだろうか)。
江戸時代に「U.F.Oの記録も詳細に述べられている」とは! 誰か研究して。
同じく岸駒の項で、
たしかにひとに対する態度がすこぶる尊大だったことがあるかもしれない。数多くの逸話のすべてが事実と異なるわけでもあるまい。それが何だというのだ。原子爆弾の被災者であることを声高に述べ、"世界平和"のために作画していると公言して文化勲章を貰った画家に較べ、在世中から悪評を投げつけられながら京都の社寺の復興資金を提供していた岸駒を私は支持する。
吉宗の政治があたかも良いものであったかのように記述されているとすれば、半分は間違いであるといわなければならない。一応、半分といっておくが、つまらん政治である。筆者の考えでは、吉宗の"享保の改革"、松平定信の"寛政の改革"、水野忠邦の"天保の改革"は教科書ではあたかも正しい政治改革と教えられたが、すべて無意味どころか人を身分によって裁断する有害な政治的"改革"とすべきである。
曽我蕭白の「蹴鞠寿老図」の解説で、
洛中洛外図をおのれの美意識で変容させた山口晃氏と会ったとき、私が思ったのは、え! ふつうのひとじゃないか、ということであった。
これは私の印象と全く重なる。あれだけの絵を描く人はもっと偏屈なキャラクターだと普通想像するだろう。山口氏は一流画家には珍しく礼儀正しい紳士なのだった。

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