狩野博幸「江戸絵画の不都合な真実」(筑摩選書)が素晴らしい! 本書は江戸時代の8人の画家を取り上げて簡潔に紹介している。岩佐又兵衛、英一蝶、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、岸駒、葛飾北斎、東洲斎写楽であるが、初めて知って驚いたことがいくつもあった。著者の文章は歯切れがよく読みやすい。
岩佐又兵衛は謀反を起こして信長に逐われた荒木村重の遺児だったが、母を斬首された。「だが、又兵衛は絵を描くことによって、そのPTSDを克服する。」
牛若の母・常盤御前が山中宿で盗賊に襲われ惨殺される場面が、執拗に描かれることで今日有名なこの絵巻(「山中常盤物語絵巻」)こそが、又兵衛がPTSDを克服した事を逆に証明している。母の非業の死というトラウマを、描き尽くすことで乗り超えたのである。
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英一蝶は2度三宅島に島流しの刑にあっている。特に2度めの流罪は一蝶が法華宗の不受不施派に属していたからではないかと著者は推測する。徳川幕府は1630年法華宗の不受不施派を邪教と断定した。不受不施派とは四民平等を唱える宗教だった。これを主張した日奥について、「16世紀の終りから17世紀の初めという時期を考えれば、日奥の思想はヨーロッパをはるかに凌駕していた」と言い切る。
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若冲については、著者は別に「若冲」という本を角川文庫から発行している。私も以前紹介した。
・狩野博幸「若冲」は若冲に関するとても良い入門書だ、加えて佐藤康宏の若冲のニセモノ論(2010年8月7日)
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長沢芦雪については、死の謎に迫っていく。各々の画家論の末尾に作品が白黒図版で掲載されており、その解説がおもしろい。芦雪の有名な「虎図」について、
襖6面にただ1頭描かれた虎は、眼光鋭く迫って来るものの怖ろしさというより愛嬌が勝っている。庭の雀に忍び寄ってゆく猫のすがたを髣髴させるだろう。ただ、ここには葦の葉が示しているように強烈な風が吹きすさぶ。風のなかをじわりと近づいて来る虎の眼光の鋭さはただごとではない。
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巻頭に各画家の作品のカラー図版が1点ずつあり、末尾にその解説が収められている。岸駒の解説で著者はこう書く。
江戸は知らず、18世紀から19世紀にかけて筆力として京都を代表する画家を虚心に挙げよといわれたなら、私は池大雅でも与謝蕪村でもなく、また円山応挙でもなく、曽我蕭白と長沢芦雪、そして岸駒であるというほかない。いまひとり、松村月渓(呉春)を挙げてもいいが、南画から写生画に転じてそれでも一流であるという器用さが、評価としては逆に働く。
当代においても岸駒の世評はすこぶる悪い。だが、私評では当時の京都において岸駒の筆力は群を抜いていると思わざるを得ない。同時に"旨さ"が真の評価を呼び込むことがないのは、現代でも同じことではないのか。
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北斎を語るに当たって、著者はその章のほとんどを「富士講」の解説に充てている。
「富士講」は日本の永いあいだの富士信仰のなかから生まれてきた組織であり、切支丹や不受不施派と同様、幕末まで禁止され続けた。切支丹への弾圧については近代以降の西欧文化への傾斜もあって、ロマンティックなまでの眼差しが向けられて来たのはよく知られていよう。(中略)しかし、17世紀後半から19世紀なかばの幕府の崩壊までのあいだ、政権が神経を尖らして対応したのは不受不施派であり富士信仰に発する富士講だったのである。
この富士講の6世行者となった食行身禄(じきぎょうみろく=1671-1733)のことが詳しく語られる。
じきぎょうみろく、−−この名をどれだけの日本人が知っているだろう。何かといえばアメリカ独立宣言やフランス革命が教科書に載り、あたかもそれらより日本が後れた国家であるかの如くに記述されてきたが、それらの半世紀も前に日本では民間の一個人によって、西欧の"進歩的思想"を凌駕する思想が流布し始めたことが事実として表明されることがなかった。まことに薄ら寒いほどの西欧偏重というべきである。
そして、富士講の解説の後やっと最後の2ページで北斎が語られる。北斎の「冨嶽三十六景」は富士講の影響のもとに描かれたものではないかと指摘される。
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写楽については、いまだに「謎の浮世絵師」と形容されることに著者は苛立ちを隠さない。これについては1977年に中野三敏が論文で「写楽は阿波侯の能役者斎藤十郎兵衛」と発表したことで決着がついたはずだと。中野は昨年、中公新書から「写楽 江戸人としての実像」を出版した。写楽の謎はきれいに解かれている。
これは全くその通りで、私もこの新書を紹介したことがある。
・ついに写楽の謎が解かれた(2009年3月11日)
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とにかく最初から最後まで面白い本だった。今後、江戸絵画を学ぶには必読の教科書と言っていいだろう。

- 作者: 狩野博幸
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/10/15
- メディア: 単行本
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