黒鉄ヒロシ『マンガ猥褻考』を読む

 黒鉄ヒロシ『マンガ猥褻考』(河出新書)を読む。カバーの惹句から、「……天才漫画家が、ついに生涯のテーマのひとつ“ワイセツ”に、真正面から挑む。歴史、文学、美術、映画、哲学、博物学の知見を総動員して、その秘密に迫る。超絶技巧の作画でおくる、完全描き下ろし漫画。猥褻とは何か――世紀の奇書、誕生」。

 奇書ではあるが、「世紀の」とはちとオーバー。猥褻とは何かを全編マンガで綴っている。黒鉄のあまりきれいとは言えない線で、様々な方向から探っている。たしかに黒鉄の「生涯のテーマのひとつ」なのだろう。普通そんなことをここまで真剣に考えない。

 途中、ドイツの絵葉書が描き写されている。若い娘が寝そべって机の上に手を伸ばして本を取ろうとしている。短いスカートがたくし上げられ下着がずり下げられていて、尻が見えている。何とも不自然なポーズだ。確かにこれは猥褻だと感じられる。

 また自転車のサドルだけを盗むサドル泥棒が紹介される。サドル泥棒にとっては自転車のサドルは間接的に性器が触れるからフェティシズムの対象になるのだ。フェティシズムも猥褻なのだろう。

 『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルこと数学者のドジスン。アリスのモデルは10歳のアリス・リデル。でも黒鉄は書く、「キャロルの時代の彼の立場は少女はもとより性の対象ではなかった」。アリスを書いた2年後、キャロルは偶然街でアリスに出逢っている。「彼女はすっかり変わってしまったみたいだ。良い方に――とはいいがたい。恐らくあの激しい過渡期なのだろう」。キャロルが考えた“激しい過渡期”とは―恐らく初潮のコトではないか? と黒鉄は書く。

 世紀末のロンドンに留学し、大英博物館に通って52冊のノートを作成した南方熊楠。そのテーマは、男色、オナニズム、両性具有、宦官、売春、強制猥褻、性的錯乱。

 印象派のマネは、「草上の昼食」を発表し、猥褻だと非難された。黒鉄は、日本の浮世絵は性を開放的に描いた。浮世絵の枕絵がマネらに影響を与えたのではないかと黒鉄は書く。日本では大きなペニスさえもご神体として崇められていた。それは当時猥褻ではなかった。江戸城の大奥では張形の需要もあった。街にはそれらを商う商家もあった。浮世絵はクリムトにも影響を与えて、人物像を男根のシルエットにしたりしていると書く。

 なるほど、確かに古代に猥褻はなかっただろう。猥褻はある種の文化であり、作られたものなのだ。だからと言ってそれを無視できるものではなく、共同の幻想と言えるのではないか。まあ、奇書ではあった。