ついに写楽の謎が解かれた

 浮世絵師写楽はきわめて短期間だけ活躍しふっと消えてしまった。一体写楽とは誰だったのか? 意外にも写楽探しがブームになるのは戦後になってからだ。多くの玄人素人が入りみだれて写楽の正体を探し始めた。カッコ内は提唱者が写楽と目した人物だ。(中野三敏写楽』より)

横山隆一蔦屋重三郎)、松本清張(能役者・斎藤十郎兵衛)、小島政二廊(阿波藩家老の倅・牟礼俊十)、横山隆一葛飾北斎)、今東光(能役者・春藤次左衛門)、小野忠重(某能役者)、瀬木慎一十返舎一九他共同制作)、中村正義(蒔絵師・飯塚桃葉社中)、林美一(北尾派絵師)、石沢英太郎(歌川豊国)、向井信夫(酒井抱一)、大岡信(能面師・土左衛門の次郎太)、福富太郎(栄松斎長喜、その後司馬江漢等)、鈴木俊夫(蔦重工房)、谷峯蔵(山東京伝)、高橋克彦秋田蘭画絵師・近松昌栄)、石森章太郎喜多川歌麿)、池田満寿夫(中村此蔵)、梅原猛(歌川豊国)、瀬木慎一写楽写楽)、中島節子(オランダ人某)、渡辺保狂言作家・篠田金治)、六代目歌川豊国(欄間の彫師・指六)、小山観翁(写楽は3人)。

 いや、省略したがまだあるのだ。錚々たる人たちが好き勝手なことを言い立てていた。私もこれらの何冊かを読んだが、これだと納得することはできなかった。それが今回、写楽の謎は解かれたと確信できた。中野三敏写楽』(中公新書)がそれだ。

写楽―江戸人としての実像 (中公新書)

写楽―江戸人としての実像 (中公新書)

 本書は2年前の2007年2月に発行され、その直後から、あちこちの書評で写楽の謎解きの決定版と評価を受けていた。それをやっと読んだ。何人もの書評子がなぜ断定できたのか、研究者でもない私が同じくなぜ断定するのか。読めば誰でも納得するだろう。
 もともと天保14年(1843年)成立の斎藤月岑著『増補・浮世絵類考』に写楽に関して次のように書かれていた。

俗称斎藤十郎兵衛。江戸八丁堀に住む。阿波侯の能役者。

 ところがこれが信用できないとなって、様々な人物が写楽に比定されてきた。本書で中野三敏は種々の資料を引用して、この記載が正しいことを証明する。もう今後どんなに新しい提案があっても中野の結論が改められることはないだろう。見事な謎解きだった。