福岡伸一の巨乳論に疑問

 福岡伸一朝日新聞に巨乳論を展開している(2015年12月24日)。「福岡伸一動的平衡」という連載コラムの4回目、その「完璧な対にこそ美しさ」を紹介する。

 巨乳に惹かれる男は多い。なぜ? この疑問を生物学的に解こうとすると行き着く先は必ず進化の物語になる。それが生き残る上で有利だったから、と。しかしこの手の話は物語の常としてすべて後づけの説明となる。だから眉つばで聞かないといけない。
 もっとも有名な珍説はデズモンド・モリズが言いだした「おしりの擬態」説。背面交尾がもっぱらだった哺乳動物。おいりのかわりに大きな乳房を持った女に惹かれた男によって対面交配が促され、男女のきずなが深まった。本当? ゴリラやボノボだって対面でする。胸なんてぺちゃんこなのに。「授乳シグナル」説。巨乳は出産後の授乳能力のあかし。子育ての保証にこれが好まれた。いえいえ。乳房は脂肪の塊ではあるが母乳の直接の原料とはならない。
 私の仮説はこうだ。ヒトは対称性に美を感じる。チョウの翅。鹿の大角。ワシの翼。対称性を作るためには精妙な生命のプロセスが必要だ。かくして完全な対には、創造の完成度と無謬性が現れる。つまり完璧な対こそは健康と豊穣の象徴なのだ。乳房は双丘であることにこそ意味があり、美の起源とは、生命にとってよきものが美しく見えたことにはじまる……。(後略)

 まず「完璧な対」であるためには巨乳である必要はない。貧乳でも完璧な対となりうるのだから。いや、そんなつまらぬ問題ではない。
 男たちがなぜ巨乳を好むか。男たちが巨乳を好むようになったのはたかだたここ100年ほどのことであって、こんな短時間では進化を論じる余地がない。それは文化の問題に過ぎない。
 巨乳論に関してはすでに私が論じ尽くしている。アメリカでは第1次大戦後、日本では第2次大戦後から巨乳が好まれるようになってきた。なぜか、写真やイラスト、映画などが発達したからだ。それまで乳房を見るときは乳房に触れるときと同時だった。ふれれば乳房の大小に関わらず男たちは嬉しいものなのだ。上記の時代まで乳房の大小を問題にした時代はなかった。写真や映画が一般的になると、見る機会と触る機会が分裂した。見るだけの場合、乳房は大きいほうが好まれるようになった。それが巨乳を好む文化を作ったのだ。詳しくは下記のページを読んでほしい。
どうして男たちは巨乳を好むのかーー巨乳論の試み(2007年6月20日


 長くさまざまな画家に擬せられてきた写楽が本当はだれであったかの結論は中野三敏が下している。数十人の候補者が云々された写楽論はすでに過去のものにすぎない。それと同様、巨乳論は私が結論を出してしまったのだ。


 ついで中野三敏写楽論はこちらを、
ついに写楽の謎が解かれた(2009年3月11日)
 写楽は俗称斎藤十郎兵衛。江戸八丁堀に住む、阿波侯の能役者だった。