中野三敏『江戸文化再考』を読む

 中野三敏『江戸文化再考』(笠間書院)を読む。中野三敏と言えば、写楽が誰であったか、その謎を解いた近世文学研究者だ。中野の謎解きは見事なもので、もうどんな異論が出されようと、写楽に関する中野の結論が覆されることはあり得ない。このことについて、狩野博幸も『江戸絵画の不都合な真実』(筑摩叢書)で断言している。狩野の著書を紹介するなかで、私もそのことを要約した。

 写楽については、いまだに「謎の浮世絵師」と形容されることに著者(狩野博幸)は苛立ちを隠さない。これについては1977年に中野三敏が論文で「写楽は阿波侯の能役者斎藤十郎兵衛」と発表したことで決着がついたはずだと。中野は昨年、中公新書から「写楽 江戸人としての実像」を出版した。写楽の謎はきれいに解かれている。
「江戸絵画の不都合な真実」が素晴らしい!(2010年12月19日)

 その中野の新刊なら読みたいのは当然だ。本書は国文学研究資料館で行った5回の講演会の記録だ。講演録だから読みやすい。
 江戸時代の文化について、今まで大きく2つのピークがあったと理解されてきた。17世紀末の元禄時代と19世紀初めの文化文政時代だ。元禄文化は上方中心の文化、文化文政つまり化政文化は江戸を中心とした文化で、江戸文化の2つのピークだったと。そしてその間に挟まれる18世紀は2つの文化の移行期だったとされている。
 中野はこれに対して、17世紀を江戸文化の青年期、18世紀を成熟期、19世紀を老年期と呼び変えてみせる。移行期とされていた18世紀を江戸文化の成熟期として高く評価し直している。そして17世紀は「雅」の文化=伝統文化(中国文化)=ハイカルチャーが優位であり、19世紀は「俗」の文化=新興文化=サブカルチャーが優位に立ったという。間に位置する18世紀が雅の文化と俗の文化がバランス良く存在し、成熟した江戸文化のピークだと、絵画などを例に解説している。
 中野は「江戸らしさ」について、「やはり、18世紀というのが江戸のもっとも江戸らしい文化と言いますか、あるいは、江戸的に成熟した、ということはつまり江戸らしい、もっとも江戸らしい文化が盛んになりましたのが18世紀である、そうお考え頂ければ大体よろしいんではないかと思います」と言っている。
 中野はまた江戸時代の封建制は西洋の封建制と異なり、庶民にとってずっと自由な時代だったと種々の文献を引きながら言っている。ここでも渡辺京二の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)が参照されている。
 中野は江戸思想史についても驚くべき主張をする。従来江戸時代の儒教思想朱子学が中心だったとされてきたが、陽明学だったのではないかと言う。伊藤仁斎荻生徂徠の学問も、ベースに陽明学をおいて考えれば大変理解しやすいところがある、そしてそれが江戸の儒学だと言っている。陽明学は「主観唯心論」と呼ばれる。朱子学と異なり「情」「人欲」を肯定する。また異端を容認する。そこから仁斎学も徂徠学も生まれた。

……朱子学は宋代の学問ですけれども、禅宗辺りからの影響で心の学に目覚める。しかし心の弱さに着目して、心の外にある天の道理とつながった本然の性というような考えに立ったので客観唯心論と言われます。そこからさらに何百年も下った明代では、宋代の学問をそのまま受け入れるわけではなくて、宋代の学問をもう一つ発展させたかたち、その、唯心論をさらに発展させる。そういう客観から主観へという流れの中で、もう一つ朱子学を発展させたのが陽明学だというふうに考えた。それを取り入れるんであれば、何も遠慮する必要も何もなくて、そういうふうに考えられたのが、おそらく江戸時代の学者にとっての陽明学であったと思います。そして、その結果、朱子学を乗り越えた陽明学をベースとして非常に豊かな発展というものが、江戸の儒学の中で考えられる。それを、これまでは、仁斎学や徂徠学は日本独特の発展だというふうに考えてきて、朱子学から見ればかなり儒学の領域を逸脱するものであるというふうに考えられてきたんですけれども、私は仁斎学も徂徠学も、いずれも朱子学の発展系としての陽明学をヒントにして、そこからもう一度朱子学を批判しようとした。その流れとしてあるんだと考えるのが、一番簡単な、また分かり易い立場なのではなかろうかと思っております。

 これは画期的な考えではないだろうか。
 さて、最後の章、5回目の講演のタイトルが「和本リテラシーの回復 その必要性」となっていて、これが今回の講演の一番大事なことだという。120年前までの日本語表記は変体仮名と草書体漢字だった。それが現代の日本人にはもう読めなくなっている。現在それを読める日本人は多く見積もっても4,5千人程度ではないか。これは日本の人口の0.004%くらいだ。江戸時代の文献は150万部は楽にあるだろう。ところが、それらのうち活字化されているのは2万点に満たないだろうと言う。やっと1%強にすぎない。中野は英語教育の1時間でも変体仮名の教育に当ててほしい、そうして30年もたてば、また和本を読むことができる日本人が育ってくるだろうと。
 講演録なので、難しいことがやさしく書かれている。


ついに写楽の謎が解かれた(2009年3月11日)
「逝きし世の面影」を読んで(2010年4月13日)