山口晃『ヘンな日本美術史』を読む

 山口晃『ヘンな日本美術史』(祥伝社)を読む。ちっともヘンではないしおもしろかった。もしヘンだというなら、取り上げ方だろう。画家の選択がオーソドックスではなくユニークなのだ。まず日本の古い絵として、鳥獣戯画、白描画、一遍聖絵伊勢物語絵巻、伝源頼朝像が取り上げられる。
 ついで章を変えて雪舟が詳しく語られる。なぜ雪舟は邪道を選んだのか「破墨山水図」、雪舟の生み出す恐るべき絵画空間「秋冬山水図」、莫迦っぽい絵「慧可断臂図」、妖しい空間の描き方「天橋立図」等々。
 次の章は「絵の空間に入り込む」として洛中洛外図が語られる。岩佐又兵衛の舟木本、狩野永徳の上杉本、群を抜いて異様だという高津本を素材に洛中洛外図の見方がていねいに語られる。舟木本には2,700人の登場人物が描かれている。山口は大学生時代にこの絵を見たとき「非情にシビれた記憶がありまして、絵の前で叫びだしたくなったのはそれが初めてでした」と書く。また上杉本を描いた狩野永徳を褒め称えている。

 学生の頃は、「舟木本」の凄さに目が行ったのですけれども、だんだん人間も歳を取ってきますと、ギチギチに描かれたものが胃にもたれるようになってきまして、この「上杉本」の方に惹かれるようになりました。

 第4章は「日本のヘンな絵」と題されている。「松姫物語絵巻」が取り上げられ、「下手くそ」と言われる。明らかに素人の絵で、「大体、このレベルで描く方も描く方なら、頼む方も頼む方です」とまで書かれる。しかし、「当時この絵の魅力が解ったのは、ある意味凄いことです。単なる下手な絵として捨てずに、そこを許容する、見る方の見識というのが、むしろ非情に新鮮で面白く感じられます」と評価されてもいる。そして、

 上手い人は、信じられないくらい上手くなって、その上手さの泥濘から抜け出していくしかありません。(中略)あまりに突き抜けた上手さにまで到達して、その上手さが鼻に付かなくなるくらいになることで、「上手のいやらしさ」から脱却するのが筋であると思うのです。
 例えば、西洋ではルーベンスがその部類に入るでしょう。ルーベンスは多作で、緻密でありながら大画面をあっという間に仕上げました。(中略)
 日本画で言えば、竹内栖鳳などはその域に達していそうですが、長沢蘆雪くらいだと、まだそこまで行っていない感じです。

 ついで、江戸時代の風俗画で国宝にもなっている「彦根屏風」も、描き方が絵画内に「型」があるからと高く評価される。また岩佐又兵衛については、

本当に上手い人の絵と云うのは、(中略)ある種の模倣やデフォルメを繰り返しつつも、必ず実空間に帰ってきます。そして実空間だけで描いていると、絵がつまらなくなるので、また実空間を離れて潜っていくと云う事を繰り返す、すなわち、実空間と自在に呼吸しながら描くと云うことができるのです。
 恐らくは、又兵衛と云う絵師は、人物描写においてそれが非情に上手くできたのだと思います。

 そして応挙と若冲が比較され、ついで光明本尊と六道絵が比べられる。最後の章が「やがて悲しき明治画壇」となっている。ここでは3人の画家が取り上げられて評価されているのだが、それが河鍋暁斎月岡芳年と川村清雄なのだ。この選択には驚かされた。川村清雄は現在江戸博物館で個展が行われている。見に行ってみよう。
 山口のこの本で唯一の不満は、250ページしかないことだ。500ページあるか、上下2巻本だったら良かったのに。読み終わるのが本当に惜しかった。そうだ、『ヘンな西洋美術史』を書いてくれないだろうか。山口は画家にならずに美術評論家になっても成功していたのではないか。



ヘンな日本美術史

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