『雪舟はどう読まれてきたか』がおもしろかった

 山下裕二 編・監修『雪舟はどう読まれてきたか』(平凡社ライブラリー)がおもしろかった。読み始めてすぐ「また、語られるような経歴を持つ画家も、我が『ひらがな日本美術史』では雪舟が最初である」と書かれていた。『ひらがな日本美術史』って橋本治が『芸術新潮』に連載しているやつなのに、何で山下裕二が「我が」なんて言っているのだろうと、目次をよく見たら、26人の著者の雪舟に関する29本の論文を集めた本だった。それで『雪舟はどう読まれてきたか』という変な標題で、山下裕二が「編・監修」なのだった。
 論文は発表の新しい順から並んでいる。1997年の橋本治から、赤瀬川原平水上勉丸木位里・俊、保田與重郎、吉村貞司、矢代幸雄寺田透、河北倫明、土方定一岡本太郎小林秀雄川合玉堂、1910年の中村不折、そしてフェノロサ等々、錚々たるメンバーだ。これだけ揃うとさすがに様々な意見を読むことができる。
 雪舟が中国の明へ渡ったとき、雪舟の絵が中国で絶賛されたことについて、雪舟の学んだ京都の水墨画の大家、如拙と周文が宋元の画風を引いていたのに対して、明時代の中国では宋元風の絵を描く絵描きがすでにいないため、それを継いでいる雪舟が高く評価されたのと矢代幸雄は冷静に書いている。
 戦前に執筆した西堀一三は、目前の景色を見ることの中に自らの画境を磨こうとする雪舟の態度が、「支那大陸のものに対して徒なる敬意を払うことをも廃棄するに至るのであります。雪舟は彼地に渡り、画道のことについても見聞を拡めたのでありますが、その結果は、日本のものが彼地のもにおとるものでないのを確認したのであります」と国粋的に書いている。
 岡本太郎は、雪舟を芸術じゃないとこき下ろしている。技法だけではないかと。しかし蓮実重康は雪舟を絶賛する。

水墨画家中、雪舟程すばらしい迫真力をもって空間構造を創造した人も稀であった。彼の空間構造は生々しい現実性をもって感動を人に与える。

 長谷川三郎はイサム・ノグチ雪舟の「山水長巻」を見せる。ノグチも絶賛する。

 彼(ノグチ)が、雪舟の中にピカソを見、ピカソの中に雪舟を見る、即ち、現代に雪舟が生きて居れば、「ピカソのようなエカキとして仕事をするだろう」と言った事は、他でも書いた。私も賛成である。それは形式の問題ではない。活発な創造精神と力、画家としてのスケールの巨大さのことである。

 川合玉堂雪舟に写生味を見ている。

 雪舟の山水が、他の単なる伝統にのみ立脚して描いた人々の作と違って、何処か力強いところのある所以は、彼の作に写生味の豊かな一特徴があるからだと云ってよいと思う。

 フェノロサは書く。

実に雪舟あるに非ざりせば、支那美術は第15世紀に至るまで、無上の解釈者を欠きたるなるべし。雪舟あるが為めに独り日本のみならず、全世界は、彼の知識、彼の鑑識、彼の美術に依りて永く支那美術の何たるを解すべく、将来の世紀に至り改造せられたる支那も、亦雪舟の眼に由り、渺たる自国の過去を覗い見ることを得べきなり。

 このように異なる意見を読むことができておもしろかったが、白眉なのは最後に置かれた山下裕二の論文「小林秀雄が見た雪舟」だ。これは本書にも収録されている小林秀雄の「雪舟」(小林の代表作『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)に収まっている)を分析したもので、これを読むだけでも本書を推薦したい。
 次いでおもしろいのが、巻末の山下による解説で、収録された論文を厳しく明解に論評している。たとえば、「雪舟にさしたる実感を持たぬまま、ディレクターに連れて歩かされる丸木夫妻が眼に浮かぶ」とか、吉村貞司について、「1960年代から70年代にかけて、室町絵画史に関するプロパガンダをもっとも熱心に行った人」と紹介され、さらに

たとえば「山水長巻」を記述する「ここに描かれた力の相克という悲劇には解決がない。それは永遠にわたって悲劇である。つまりは存在することが悲劇である。存在の本質が悲劇である」という文章には、彼の哲学的思弁ともいうべき姿勢が投影されていて、20数年前には、かなり抵抗があった。史実の検証に関しては杜撰さが目立つわりには、強引なのである。だが、今、読み返してみると、とくに『東山文化 動乱を生きる美意識』の表紙にクローズアップを使用している「慧可断臂図」については、グラフィックな表現の本質をついていて、あらためて眼を開かされるところも多い。詩・評論からスタートし、幅広く日本美術史全体を俯瞰する視線を持った評者として、今後杯評価すべきであろう。

 大御所河北倫明に関して、

 かつて雪舟セザンヌになぞらえる風潮があった。ここに収録した河北倫明による短い文章は、まさにその典型だろう。(中略)1956年の「雪舟ブーム」の折りに、一般向けを意識して書かれた気楽な文章だが、「明治初期のフェノロサ雪舟の簡素で構築的なレアリティにたちまち心酔して以来、浮世絵以上に日本美術を知った外人たちは例外なく雪舟を評価しました」というような価値づけに、どうしようもない時代の空気を感じる。ともかく、「敗戦後」なのである。

 長谷川三郎に対する態度は温かい。

……彼が雪舟について書いた文章を読むと、これほど実質的に雪舟の絵を慈しんだ人はいなかったのではないか、とすら思えてくる。あらためて読むと泣きそうになる。(中略)この人と雪舟の話がしたかった。

 山下は率直で辛辣で情の細やかな人と見受けられる。雪舟に関する代表的な論述を1冊に編集した本書は、おそらく雪舟論の入門書として最適なものではないだろうか。山下も高く評価する島尾新の『雪舟の「山水長巻」』(小学館)や赤瀬川原平山下裕二雪舟応援団』(中央公論新社)などを手始めに、雪舟を見ていこう。


雪舟はどう語られてきたか (平凡社ライブラリー)

雪舟はどう語られてきたか (平凡社ライブラリー)

雪舟の「山水長巻」風景絵巻の世界で遊ぼう (アートセレクション)

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雪舟応援団

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