吉田哲也遺作展

 4年前に亡くなった吉田哲也の2度目の遺作展が始まった。この春、京橋から銀座1丁目に移転した藍画廊で5月9日(土)まで。(ただし、日曜・祝日休廊)
 吉田哲也は若くして亡くなったが、きわめて優れた彫刻家だった。厳しい立体を造っていた。昔ストラヴィンスキーが無名の頃の武満徹の音楽を聴いて、この小さな男がどうしてこんなに厳しい音楽を書けるのかと言ったひそみにならって言えば、この穏やかな青年がどうしてこんなに厳しい立体を造れるのか。
 吉田哲也の作品は一見人を寄せつけないように見える。難しいのだ。ブリキを折り曲げたぶっきらぼうな立体だ。これは何だろう? それがある時、表情を一変する。饒舌で豊かなのだ。何という美しさだろう! 何という美しさだろう! 少年だった時に欧米映画を見て俳優が皆同じ顔に見えてストーリーが全然分からなかった。それがある時、突如オードリー・ヘップバーンが美しく迫ってきたように、吉田哲也の作品が喩えようもなく美しい姿を見せてくる。
 藍画廊の福田さんと倉品さんが、作家が見たら今回の展示を許さないに違いない。吉田さんなら今回も展示に3日間はかけるだろう。ギリギリに追い込むのだ、と言われる。今回の遺作展は1999年の東京都現代美術館MOTアニュアルを再現している。そのオープニングパーティーでベレー帽をかぶってひょいと挨拶した吉田さんを鮮やかに懐かしく思い出す。
 いや、少し違う見方もある。東京都現代美術館MOTアニュアルで美術評論家の南雄介は吉田哲也について、modestyと言っている。

 かつて吉田は、自らの求める彫刻の定義を言葉にしたことがある。それは「高さを持って立ち上がるもの(そして、それを見上げる)」、「深さ(密度)のある表面」、「中間的なもの(大きくも小さくもない/強くも弱くもない)」、「ズサンなもの、あるいはズサンさを残したもの」という4つであった。
 この4項は、まさに吉田の彫刻を過不足なく言い当てているように思われるが、特にここで「中間的なもの」とか「ズサンなもの」と呼ばれている感覚は、われわれがmodestyの名を与えようとした特性に近似している。
 具体的には、トタン板や針金のニュートラルで日常的な存在感や、開放的で偶然性を宿した作品構造が、これにあたるだろう。しかしそれは、形式的なものというよりは、作品との心理的な距離の問題であるように思われる。
 かつて吉田が、個展の度に発表していた短いテキストは、「常温」とか「平信」などと題されているが、そこからも、つとめて何気ないものを求めようとする作家の心的な態度が伝わってくる。しかしながら、この「何気なさ」の追求とは、かのマルセル・デュシャンレディメイドにも通底するものであり、すぐれて逆説的なものとも言えるだろう。
 吉田の彫刻の展開は、「何気なさ」を強めていくという、概念的に考えればきわめて困難な道筋をたどってきた。しかもそれが、まさに「何気なく」自然にやりおおせられてきたように見えるのは、ある意味では驚くべきことなのかもしれない。そこにわれわれは、彼の際立った芸術的な個性を見るべきであろう。

 ここに私と吉田との唯一の共通点が現れた。曰く「modesty」である。ただ私(Modesty M. Polo)の形容詞は反語に過ぎないが、吉田は文字通りmodesty(しとやかな、慎み深い、控えめな)であろう。しかし、厳しいという評価と何気ないという評価が吉田においては両立しているのではないか。
 小さな作品が、その存在を厳しく確固たるものと主張している。音楽に喩えればミニマルでなくウェーベルンだろう。吉田哲也は紛れもなく歴史に残る美術家だ。ぜひ多くの人に見てもらいたい。

1. 台の上にブリキ製の小さな作品が置かれている

2. 長さは20センチくらい

3. 針金の先がちょっとだけ曲げられている

4. 少し幅がある

5. 幅が広い作品

6. 壁に何やらごく小さなものが並んでいる

7. それが長さ2センチに満たない針金を曲げたもの

8. 別の壁には「く」の字を寝かせたような針金の作品が

9. 初めて阿佐ヶ谷の西瓜糖で展示した繊細な作品

10. 画廊の片隅の台の上に置かれたブリキの作品

 以前書いた吉田哲也についてのエントリー
「追悼吉田哲也ーこの寡黙な彫刻家へのオマージュ」(2007年3月21日)

藍画廊
東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル2F
TEL & FAX 03-3567-8777
4月27日(月)〜5月9日(土)、日曜・祝日休廊
11:30〜19:00(最終日〜18:00)
http://homepage.mac.com/mfukuda2/