恥ずかしい言葉の話

 先日話をしている時「くくりつけの家具が」と言ったら相手が「今何て言ったの?」そして開いた左手の上で何かを摘んだ形の右手をくるくる回して「括りつけるって言うのは、紐で縛り付けることよ、あなたの言うのは作りつけの家具でしょ」と言う。全くそのとおりだ。何十年も「くくりつけ」と「つくりつけ」をごっちゃにしていた。間違いの指摘に恥ずかしかったが、なぜか少し嬉しかった。
 昔新入社員の後輩から私が「疾病」を「しつびょう」と読んで「それは"しっぺい"と読むんです」と指摘されたことがあったが、そのことの恥ずかしさはまだ憶えている。悔しかった記憶がある。
 漢字変換がされないので間違いに気づいたものもある。「平等」を「ぴょうどう」だと思っていた。ぴょうどうでは漢字変換されなくて間違いに気づいたのだ。「昔日」も「しゃくじつ」と思っていてやはり変換されなかった。いずれも最近の話だ。
 この調子ではまだ気づいていない恥ずかしい間違いがたくさんあるのではないか。いやこの「間違い」も「間違え」とどちらなのか自信がないのだ。茨城出身の女性が「学園」と「学院」はまず漢字を思い浮かべないと発音できないのだと言っていた。どちらがどちらか分からないと。