誤解していた諺

 吉行淳之介の『やややのはなし』(小学館)を読んでいたら誤解されている諺について書かれていた。「顧(かえり)みて他を言う」の意味について、何人かの知人にその意味を尋ねると皆その意味を誤解していたという。「自分自身にたいしての反省の上に立って、他人の立居振舞について文句を言う」というのが大方の答で、私もそう思った。しかし、正解は違っていた。
 正しくは「答に困ったときなど、あたりを見まわし別なことを言ってごまかす」だという。これはもともとの諺が「左右を顧みて他を言う」で、ふつう「左右を」が省略されているために間違いが起こったのだろうと。出典は、「斉の宣王が孟子と話をしていて問いつめられ、左右の者を顧みて話題をそらしてしまった故事による」ということらしい。
 さらに吉行は「もって他山の石とする」という諺を引く。これも「他人の愚行をみて、反省材料にする」と思っていたというが、私も同様だった。これまた正解は、「自分より劣った人の言行でも自分の才能や人格をみがくのに役立つことのたとえ」だという。
 我ながら知らないことや誤解していたことが多い。これを書きながら「現行」と書こうとして「げんぎょう」とタイプして変換したら出なかった。初めて「げんこう」と読むことを知った。以前「平等」を書こうとして「ぴょうどう」とタイプして変換しなかった。小学校以来60年近く「びょうどう」を「ぴょうどうpyoudou」と思っていたのだった。ここでもう一つ思い出した。昔勤めた会社で後輩相手に読み合わせ校正をしたとき、「疾病」を「しつびょう」と読んで後輩に訂正された恥ずかしさは今なお覚えているほどだ。これも40年以上前の話だが。



やややのはなし (P+D BOOKS)

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