志水辰夫「情事」を読んで

情事 (新潮文庫)
 志水辰夫「情事」(新潮文庫)を読んだ。「行きずりの街」を読んで以来、志水は割合気に入ったミステリ作家で、その後読んだ「裂けて海峡」も「背いて故郷」も面白かった。ちょっとバイオレンスが入っていて、そこが私には余分だと思っていたけれど。ストーリーテラーで読者を飽きさせず引っ張っていく。
 それで「情事」も大きな期待を持って読み始めた。ところが題名どおりの内容でしつこい性描写が延々と続く。それも微にいり細にわたって、必要をはるかに越えて。読むのが嫌になって途中2ページくらい読んではページを閉じて、また手にとって、読まなきゃ終わらないと読み続けた。ところどころ謎の部分があって、ミステリなんだろうなと思わせながら実際に事件が現れるのは8割以上進んでからだ。それも不完全な解決で終わる。これってミステリでなくエロ小説だ。しかしいわゆる官能小説はもう少し劣情を刺激する書き方をしていると思うが、これはその劣情を催させない即物的な描写が連続する。
 高校の頃の友人から長年お前はスケベだと言われていたが、「情事」を読むと自分が案外淡白なのではないかと思えてくる。主人公のテクニックが妻と愛人に対していつも同じなのは、まあそうだろうと思うが、彼女たちの反応も同じようなのはいただけない。女性の反応は多様なのだ。
 最初に読んだ「行きずりの街」に作家の顔写真が載っていて、それを見たとき微かな違和感を持った。それが何に由来するのかその時は分からなかったが、おそらくこの性的なしつこさと関連するのではないか。
 小さな違和感から隠されていたことが分かる事があるということを、以前「合掌の法則」と題して書いた。
 一般に人の顔のことを云々するのは失礼とされている。さりながら男の同性愛者は顔にある共通点が見られる。折口信夫三島由紀夫橋本治、おすぎ、ドリカムの丸顔の男性、みな共通して目のあたりに陰がある。もっともアレン・ギンズバーグにはそれが見当たらないが。まあ、性的にしつこいのも、同性愛もそのこと自体非難されるいわれはない。しかしスケベだと言われて傷つくことも知っているつもりだから、言われて嬉しくはないだろう。