トリストラム・シャンディと中西夏之、そして山猫

 イギリスの作家ロレンス・スターンの「トリストラム・シャンディ」(岩波文庫)と現代美術の画家中西夏之には1点だけかすかな共通項がある。夏目漱石も愛読したスターンのこの小説は奇妙な作品で、トリストラム・シャンディが生まれる前から書き始められている。まさに彼が受精する瞬間母なる人が「ねえ、あなた」「あなた時計をまくのをお忘れになったのじゃなくて?」「いやはや、呆れたもんだ!」父はさけびました。「天地創造の時このかた、かりにもこんな馬鹿な質問で男の腰を折った女があったろうか?」そんなわけで半人前の子どもトリストラムが生まれてしまったようなのだ。
 正式題名が「紳士トリストラム・シャンディ氏の生涯と意見」というにも関わらず物語は一向に進展しない。そもそもトリストラムがなかなか生まれないのだ。途中ぐにゃぐにゃした曲線がページ一杯に描かれていて、これはここまでのストーリーの流れを表しているという。
 ここが中西夏之とのかすかな共通点で、中西は東京都現代美術館での回顧展の折りの講演会で、やはり講演途中後ろにいた学芸員に今まで私が何を話してきたか要約してくださいと言った。きわめて難解な講演というか何が言いたいのかよく分からない講演だったので、学芸員が何というかと思ったら、先生は現代美術を制作するには何が大切かを話されましたと上手にかわしたのだった。
 母なる人の時ならぬ質問で連想したのはルキノ・ヴィスコンティの映画「山猫」だ。城を抜け出して街へ娼婦を買いに行った公爵を神父が咎めたときに、公爵は弁解するべく奥方について、あれはする時に十字を切って、行くときにマリア様って言うのだ。第一私は彼女のへそも見せてもらったことがない、と。
 へそすらも見せてもらえなければ悪所へ通うのもやむを得ないかもしれない。私が悪所へ通わずにすんだのは、カミさんがへそをみせてくれたからに他ならないから。