千葉成夫『増補 現代美術逸脱史』を読む

 千葉成夫『増補 現代美術逸脱史』(ちくま学芸文庫)を読む。副題が「1945~1985」とあり、戦後の日本現代美術を総括したもの。さらに「増補」とあるように、その後の展開を100ページ充てて紹介している。

 「逸脱史」と題しているように、「画壇」については、純文学に対する大衆文学だ、工芸に過ぎないと切り捨てている。画壇というのは主流というのか、公募展の作家たちを言うのか、ここに取り上げられていない作家たちだ。

 まず、本書はとても面白く教えられることが多かった。千葉の主張は、戦後の日本美術は、具体グループ、読売アンデパンダンの後期に参加した反芸術、日本概念派、もの派、美共闘の流れを言い、それについて詳しく分析する。

 具体美術協会は1955年に始まった。ここを日本現代美術の始点とする。しかし、まもなく具体がアンフォルメルの影響下に入ったことで、頓挫したとする。「アンフォルメルというのはヨーロッパ、とくにフランスにおける呼びかたであり、ほぼアメリカのアクション・ペインティングに対応するものである。しかし日本ではこのふたつをともにあらわす語として、さらに抽象表現主義全体を指す語として用いられることもある」。

 

……全体としては、様式としてのアンフォルメルに忠実であろうとした「具体」は、模倣か地方的な二番煎じ以外のものを生みだしえなかったのです。

 

 ついで反芸術が語られる。読売アンデパンダン展に出品した桜井孝身や菊畑茂久馬などの九州派、赤瀬川原平や篠原有司男などのネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、中沢潮の時間派(千葉は「潮」を「湖」と誤記している)、加藤好弘らのゼロ次元など。また高松次郎赤瀬川源平中西夏之の3人はハイ・レッド・センターを結成した。3人の名前の最初の漢字を英訳してつなげたもの。

 1960年代半ばから1970年の大阪万博にかけての「環境芸術」では、1969年2月の「クロストーク・インターメディア・フェスティバル」(代々木第2体育館)があげられているが、これは1968年だったと思う。(⇐私の記憶違い、1969年が正しかった)。

 そして重要な動きとして、日本概念派ともの派が取り上げられる。日本概念派では松澤宥高松次郎、柏原えつとむが紹介されている。

 もの派は関根伸夫と李禹煥が重要作家だ。関根は《位相―大地)で高く評価されている。公園に円筒形の穴を掘り、それと同じ大きさの円筒形をその横に設置した作品だ。李はもの派の運動を理論化した。もの派は、ものそのものや、ものとものの関係、ものがその中に置かれている空間や状況とものとの関係を重視する。

 千葉は書く。

 

……戦後日本の美術は、「具体」から「もの派」へといたるこのようなながれをこそ本質としてきたのであり、「もの派」をまってそのことがはじめて明確になったということである。

 

……「具体」と「反芸術」以来、ひたすら「絵画・彫刻」の埒外に逸脱しつづけてきた日本の美術は、日本概念派と「もの派」によって、もの(世界)からことば(観念)にまでわたってこの逸脱を極限にまでおしすすめたということができる。それまでは美術(絵画・彫刻)とかんがえられていなかった地平を美術の地平として可能なかぎりおしひろげ、しかも、量的に拡大するだけではなく、「絵画・彫刻」の埒外の場所こそが美術の正統な地平たりうるという思想を実現しようとしてきた――それが日本の戦後の、そして大正期前衛美術以降の美術だった。日本の文脈において美術の流れをよく見れば、すくなくとも昭和期前衛美術以降ないし戦後の美術は、このような「絵画・彫刻」の埒外の美術が、否応なく正系をかたちづくってきている。そして、日本概念派と「もの派」はこの流れの最終局面にあって、この流れこそ否応なく正系であることを決定づけたのではないだろうか。

 

 1970年代以降は、美共闘や遠藤利克、小清水漸、斎藤義重、若林奮、原口典之、川俣正岡崎乾二郎、辰野登恵子らが取り上げられる。

 増補された「この先へ」で、1985年以降現在までの動きが略述される。李禹煥は平面表現を始めた。もの派でもあった菅木志雄は空間への展開が著しい。戸谷成雄や遠藤利克、堀浩哉の活躍が記される。「ポストもの派」として川俣正が挙げられ、絵画では中村一美や小林正人が取り上げられている。

 さて、千葉の「逸脱史」を追ってきた。千葉は日本現代美術の正系をこのように断定している。そうだろうか。千葉が本書の初版を書いて35年ほどが経っている。離れて見ればまた別のことが見えてくる。すると、具体ももの派も案外寄席で言う「色物」にすぎなかったのではないだろうか。李禹煥の平面作品も高く評価することはできないし、ハイ・レッド・センターでは中西夏之のタブローが最も評価されるべきで、高松次郎赤瀬川源平の概念的な作品は今となっては魅力を感じにくい。具体で現在最も評価されている白髪一雄の作品も足で描いたことを除けば造形的にはさほど評価できるものではない。

 宇佐美圭司は抽象表現主義を批判してマチスに戻れと言った。現代でもドイツにキーファーがいる。やはり描くことこそが王道なのではないか。

 しかし、本書は戦後日本現代美術といわれているものを詳述していて、とても参考になった。増補という形で再刊したちくま学芸文庫を称えたい。