半藤一利とこんにゃく稲荷

 朝日新聞半藤一利が「人生の贈りもの」と題するエッセイを連載している。簡単な自伝みたいなもので、記者が聞き書きをしているが、その第2回に生まれ育ったところを語っている(11月18日)。

 ――半藤さんは1930年5月、東京・向島の生まれです
 正確には東京府南葛飾郡大畑村吾嬬(あづま)。間もなく住居変更で向島区吾嬬町になりました。こんにゃく稲荷と呼ばれる三輪里稲荷神社の前に家があった。23年の関東大震災後、東京が西や南へと広がる中、地方出の人たちが移り住んだ新開地です。(中略)
 ――お父さんは区議会議員も務めました
 私が小学生のころから終戦までやっていました。大酒飲みの女好きだったが、妙に男気があって人気者でした。地元の人が困っていると、国会議員を向こうに回して、「差別するのか」とやり合いました。(中略)
 ――小さいころは相撲が好きだったそうですね
 近所に3つか4つだった王貞治さんがいて、原っぱで相撲を取っているとやって来る。うっちゃりばかりやるので、「敢闘精神がない」とコツンとやりました。後年、王さんに話しても覚えていないようでした。

 半藤の語る向島区吾嬬町は現在東京都墨田区八広と名前を変えている。そこに今もこんにゃく稲荷、正式には三輪里稲荷神社がある。この神社について、黒田涼『江戸の神社・お寺を歩く〔城東編〕』(祥伝社新書)には次のように書かれている。

三輪里稲荷はこんにゃく稲荷として知られています。初午の日に、竹串に刺したこんにゃくを護符として配り、これを煎じて飲むとのどの病気などに効くそうです。

 こんにゃく稲荷は私の住む所から自転車で10分ほどと近い。図書館へ行くついでに寄ってみた。意外に立派な神社だった。



 こんにゃく稲荷について墨田区文花観光協会が建てた看板がある。それによると、

三輪里稲荷神社(こんにゃく稲荷)


慶長19年(1614年)出羽国山形県湯殿山の大日坊長が大畑村(八広、東墨田、立花の一部)の総鎮守として羽黒大神の御分霊を勧請し三輪里稲荷大明神として御鎮座致しました。通称「こんにゃく稲荷」と呼ばれて人々の信仰を集めてまいりました。「こんにゃく稲荷」のいわれは、初午の日に当社が「こんにゃくの護符」を授与され、これをいただき煎じて服用すれば、のどや風邪の病に効くとされることに依ります。

 神社の横に墨田区が建てた看板があり、そこには「この付近は海抜−1.4m」と書かれている。「海抜」には小さな字で説明がされていて、「●海抜…東京湾平均海面(T.P.)からの地盤の高さ」となっている。子どもの背丈ほどのところに海面があることになる。つまり、いわゆるゼロメートル地帯だった。