川合康三『杜甫』を読む

 川合康三杜甫』(岩波新書)を読む。しばらく前に吉川幸次郎三好達治『新唐詩選』(岩波新書)を読んだけど、あまり印象に残らなかった。杜甫李白と並び称されるが、李白杜甫より11歳年上だったとか、杜甫李白を敬していたのに対して、李白はさほど杜甫に親しみを感じていなかったなどのエピソードは初めて知った。
 漢詩というと、まず漢文があり、ついで読み下し文、そして詩の解釈という順で並んでいたが、本書では解釈が最初にあり、そのあと漢文と読み下し分が並んでいる。これは分かりやすかった。全体に、杜甫の伝記を語りながら、代表作をそこに織り込んでいっている。つまり人物論であり詩論でもある体裁を採っている。そのことも素人には入りやすかった。
 だが漢詩をほとんど読んでいない身としては、うまく紹介する自信がない。上野誠という万葉学者の書評があるので、それを引用する(読売新聞、2013年2月3日)。

 ではどうやって、古典学者は、現代人に古典を伝えればよいのか? 著者の苦労もそこにあるのだが、杜甫の詩の味わいを平易な現代詩にして先に示しておいて、次に原文と書き下し文を添えるなどの工夫が、さりげなくなされている。(中略)私は、解釈の一文一文を読みながら、著者が軽やかに読み解いてゆく凄腕に呆れもしたし、憧れの心も抱いた。そこから浮かび上がってくるのは、碩学が辿る杜甫の人生の旅路なのである。幸福を求めて旅する詩人の心を、著者は余すところなく掬い上げている。

  本書から具体例を引用する。

  左氏の荘園での夜の宴
風ばめる木々、その向こうに糸のように細い月が沈む。衣に降りる露、清らかな琴の糸が張られる。
暗がりのもと、泉水が花香る小道を縫って流れ、春の星たちが草ぶきの家をそっと包み込む。
主人家蔵の本を閲(けみ)するうちに蝋燭も細り、刀剣を愛でながら酒杯をゆったり引き寄せる。
客人の詩に続いて呉の歌の詠唱を聞くと、かの地を小舟で旅した思い出が胸に蘇る。


風林繊月落   風林(ふうりん) 繊月(せんげつ)落ち
衣露浄琴張   衣露(いろ) 浄琴(じょうきん)張る
暗水流花径   暗水 花径に流れ
春星帯草堂   春星 草堂を帯ぶ
検書焼燭短   書を検(けん)して 燭を焼くこと短く
看剣引盃長   剣を看(み)て 盃を引くこと長し
詩罷聞呉詠   詩罷(や)みて 呉詠(ごえい)を聞く
扁舟意不忘   扁舟(へんしゅう) 意忘れず

 この後、詳しい解説が続いている。それは26行と長いので引用は省くが、詩の内容とその解釈、修辞法が説明される。とても分かりやすい。
 川合には同じ岩波新書で『白楽天』も出ている。いつかそれも読んで見たいと思わせる読書体験だった。


杜甫 (岩波新書)

杜甫 (岩波新書)