井上ひさし『演劇ノート』を読む

 井上ひさし『演劇ノート』(白水uブックス)を読む。劇作家の井上が、上演するたびに劇場で配布するパンフレットに書いたエッセイをまとめたもの。1969年のテアトル・エコーの『日本人のへそ』から1995年のこまつ座の『黙阿弥オペラ』まで36作品が収録されている。
 開演前に配るパンフレットに書いているので、芝居について肝腎なことは書かれていない。そういう意味では少し物足りない思いがする。公演記録としても中途半端だ。しかし、見方を変えて自分の芝居に関連したエッセイとして読めば、井上ひさしファンには十分楽しめる。
 『薮原検校』の上演後、朝日ジャーナルに匿名批評が掲載された。それを井上が要約すると、「盲という差別的な言葉が連発されている。これははなはだけしからぬことであり、盲人を不当におとしめるものである。わたしはここに作者の志の低さを見た」というようなことになる。いつの世にもいる揚げ足取りの生半可な批評家だ。井上がNHKで台本を書いているころも、毎週のように考査室というところから批判されていたという。曰く、

「盲というコトバは目の不自由な人に対して失礼であるから削ってください」
「片手落ちというコトバは片手のない人に気の毒ですからカットしてください」
「禿山というコトバは禿頭の人に悪いですから遠慮してください」
「漁師も百姓もいけません。漁師は『漁船従業員』に、百姓は『農民』に書き改めてください」

 井上が放送の世界が嫌になったというのがよく分かる。『薮原検校』は江戸時代の盲人の物語だ。盲という言葉を盲人に変えてしまったら芝居が成り立たないだろう。初演のとき、「この芝居には差別用語が大手を振ってまかり通っている。じつにけしからん」という声が多かったと書いて、それに反論している。

……しかし作者は、この世に差別用語はほとんど存在しない、という考えをもっています。存在するのは〈差別的な言い方〉だけです。わたしたちが撃つべきは、この〈差別的な言い方〉をする人たちです。差別用語など一言も用いず、お上品な言葉だけを使い、じつは人間を上等、中等、下等と区分けして、自分たちの利益だけをふやそうとしている人非人(ひとでなし)、こういう人たちをこそ撃つべきだと信じています。

 私はATOKを使って漢字変換をしているが、「盲」という言葉は変換できなかった。「盲人」を出して「人」を削っている。「片手落ち」を糾弾するなんてバカじゃないだろうか。
 井上ひさしが亡くなってしまったことが未だに残念だ。新作の芝居が登場しないことも、優れた知性が失われたことも。