山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』を読む

 山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』(文春文庫)を読む。山本七平イザヤ・ベンダサンの名前で『日本人とユダヤ人』を書いた人。青山学院高等商業学部を卒業し、そのため陸軍の幹部候補生として入隊する。下級将校である。

 昭和19年6月、輸送船でフィリピンのマニラに到着する。無事上陸したことを護衛の駆逐艦の海軍士官は奇跡だと言った。山本たちが上陸した日にアメリカ軍はサイパンに上陸した。そのせいで攻撃を免れたのだった。

 しかし、陸軍はフィリピン派遣軍を現地で自活させる方針を取った。そのくせ現地の実情にはまったく盲目だった。軍は、フィリピンは食糧の宝庫だから軍の自活が可能だと考えたらしい。実際は麻のプランテーションなどで、食料はほんのわずかしか採れなかった。その地で食料を現地調達しなければならない。

 アメリカ軍が上陸してくる。日本軍はジャングル内で不十分な兵器や弾薬で戦うことになる。武器の違いは大きい。司令部は武器弾薬があるはずだと防御を命令してくる。しかし、建前としては武器弾薬があることになっていても、現実には不十分なそれしかない。制空権も握られている。ほとんど有効な反撃ができない。ジャングルの中を逃げ惑う。

 アメリカ軍は上空から予備タンクを落としてガソリンを撒き散らし、焼夷弾と艦砲でジャングルを火の海にする。

 日本軍はガソリンが不足するので、旧式山砲と砲弾を人力で運ばねばならない。終戦で山本たちはアメリカ軍の捕虜になった。

 山本は書く。

(……)陸軍は自然発生的な村の秩序しか知らず、組織を作って秩序を立てるという意識がない。これはヨーロッパの、アレキサンダー大王のマケドニア方陣以来の、幾何学的な組織という考え方とそれを生み出す哲学が皆無なため、そういう組織的発想に基づく軍隊組織とは、内実は全くの別ものになった、と。

 従って軍人勅諭には組織論はもとより組織という概念そのものがなく、「礼儀を正しくすべし」の「礼」だけが秩序の基本だった。だから外面的な礼儀の秩序が虚礼となって宙に浮くと、暴力とそれに基づく心理的圧迫だけの秩序になってしまった。

 

 また日本は戦闘を知っているが戦争を知らなかったとも。アメリカは対戦相手の産業や文化を研究していたが、日本は英語を敵性語だとして碌々研究しなかった。

 日本の根本的な問題が指摘されている。こんな状態でよくも戦争をしたものだと思う。本書をよく研究して日本人みなが反省しなければならない。優れた日本批判の書だ。