西村京太郎『十五歳の戦争』を読む

 西村京太郎『十五歳の戦争』(集英社新書)を読む。1930年生まれのミステリ作家。現在までに500冊の本を書いているというが、今回初めて読んだ。西村もノンフィクションは初めてのようだ。
 昭和20年4月1日に西村はエリート将校養成機関「東京陸軍幼年学校」に入学する。その4カ月半後に終戦。第1章が「十五歳の戦争」で、終戦までの自伝が書かれている。入学したのは戦争最末期で、学校もアメリカ軍の空襲を受けて炎上する。
 アメリカ軍は東京への攻撃を相模湾からと九十九里浜からの2方向からと決めていた。日本軍もそれをほぼ正確に予測していた。相模湾から上陸したアメリカ軍の主力第8軍30万人の一部は藤沢から横須賀を制圧、別の一隊は北上し原町田で東に旋回し横浜から川崎方面を制圧する。一方、主力部隊は立川周辺まで北上し、立川と八王子の間で東に90度右折して中央線沿いに西から帝都東京に迫る。
 陸軍幼年学校は八王子にあり、北上するアメリカ軍を阻止するのが使命だったのではないかと西村は推測する。しかし、そうなる前に2発の原子爆弾ソ連軍の参戦で日本は降伏してしまった。
 第2章が「私の戦後――特に昭和二十年」と題されている。西村は8月15日から新聞記事を参照して、終戦後の日々を記録していく。
 はじめは人事院の職員に採用されるが、やがて作家を志して懸賞小説に応募するようになる。32歳のときにやっとオール読物推理小説新人賞を受賞するが、なかなか注文は来なかった。次に総理府が「二十一世紀の日本」をテーマに小説を募集した。その賞金が500万円で、今なら5,000万円くらいかもしれないと書く。西村は賞金が欲しくて審査員を研究した。審査員は石原慎太郎宮本百合子、もう一人はフランス文学者だった。結果は狙い通り入選して500万円を手に入れた。
 第3章は「日本人は戦争に向いていない」で、日本人の戦争観は戦国時代並みだと酷評する。徹底して不合理なのだ。敵の飛行機を精神で落とせと言ったのは東条英機だった。海軍のゼロ戦と陸軍の隼のどちらが優秀か性能比べをしたことがあった。試乗した陸軍と海軍のパイロットはどちらもゼロ戦を絶賛した。装備している機銃もゼロ戦の方が優れていた。関係者はこれでゼロ戦に一本化できて無駄が省けると喜んだが、陸軍側から反対意見が出た。この意見がすごい。

隼が、ゼロ戦に比べて、性能が劣るということは、陸軍のパイロットが、腕でカバーしてきたということで、誇りにすべきである。性能のいい飛行機にすることは、それに安心して、技術の鍛錬を怠ることになる。

 良い自伝だ。1930年生まれということはわが師山本弘と同年だ。師のことを理解するのに少し役立った。


十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」 (集英社新書)

十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」 (集英社新書)