小林紀晴『メモワール』を読む

 小林紀晴『メモワール』(集英社)を読む。副題が「写真家・古屋誠一との二〇年」、自身が写真家でもある小林が、古屋との長い交友を通じて古屋の「人」に迫ったもの。最近読んだ本のうちで最も深い感銘を受けた。
 新聞の書評は、いとうせいこう朝日新聞に書き(2013年2月3日)、堀江敏幸毎日新聞に書いている(2013年3月24日)。堀江の評が簡にして要を得ているのでそれを引く。

 若い写真家が先達の仕事に強く引きつけられ、その作品を前に感じた昂ぶりと、にもかかわらず生じたひとつの疑問の根を探ろうとする試み。しかもみずからの写真によってではなく、瞬間を捉える映像から常に遅れてやってくる、言葉というやっかいな手段を用いて。
 論の対象は、1950年生まれの写真家、古屋誠一である。東京で写真を学んだのち、23歳で渡欧した古屋は、1978年、オーストリアグラーツで出会った女性クリスティーネと結婚する。その直後から彼女は重要な被写体となるのだが、次第に精神に異常をきたし、一児を遺して、1985年、当時彼らが住んでいた東ベルリンのアパートから身を投げた。以後、古屋は、亡き妻との時間を仏語のメモワール、すなわち記憶と自伝の意味を兼ねる重層的な題のもとに、写真集の形で再構成しはじめる。

 著者の小林は1968年生まれ、1997年には『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞を受賞し、さらに文芸誌に小説も発表している。写真集も多数出版されている中堅写真家だ。
 古屋はクリスティーネが飛び降り自殺した直後に、飛び降りた9階の窓から見下ろしてそれを知り、まずカメラを取りに部屋へ戻り、窓から地面に倒れている妻の姿を写真に撮った。
 古屋は繰り返しクリスティーネの写真集を編集し、写真展を行っている。それは亡くなった彼女と古屋の関係をたどり直し、確認する作業のようでもあった。
 クリスティーネと出会った最初の頃、古屋は彼女を故郷の静岡県伊豆へ連れていっている。その伊豆で取られた彼女の写真について、小林が書いている。

 背後には波のほとんどない静かな海が広がっている。黒いTシャツとスカート。竹の棒を持ち、古屋の父に借りたという男物の黒いゴム長靴を履いて、微笑んでいる。古屋と二人でふざけあったあとだろうか。何か冗談を言ったばかりかもしれない。二人の笑い声が聞こえてきそうな、その場の和やかで明るい雰囲気が伝わってくる、幸福な気持ちにさせる写真だ。

 本当に気持ちの良い幸せそうな写真だ。光が斜め後ろから差し、半逆光のため顔は少し陰になっているが、少なくともこんな幸せな瞬間があったことを確信させてくれる。この写真についてはアラーキーも、一番いい写真だと言っている。本書に引用されているアラーキーの言葉。

古屋誠一の写真で、一番いいと思ったのは(中略)やっぱり自分の郷里に呼んでカメラぶら下げて杖持って、にっこり笑っている写真ですよ、オレが最初にいいなあって言ったのは。あれは伊豆に呼んだときの写真でしょ。川だか海だかに声がこだましているじゃない。光は海をきらきらさせているし、いい風も吹いているし、それは全部自然の風じゃなくて、ふたりの関係の風と光だから、あれはいい写真だよ。ストレートでひと言もささやかなくても通じている写真だからね。

 アラーキーの言うようにスカートが少し風で揺れている。だが、よく見ると、写真のクリスティーネの首の右側に傷跡があるのが分かる。同様に右手首にも傷跡がある。古屋に会う半年前に、当時付き合っていた恋人との結婚を相手の親に反対されて自殺しようとして作った傷だという。
 アラーキーをヨーロッパに紹介したのは古屋だった。荒木経惟を日本の写真家から世界の写真家にしたのは、古屋の企画した写真展だった。「カレはオレを有名にしてくれた男なんだよ」「(古屋は)写真家というより、キュレーションするプロデューサーっていうか」と。
 写真評論家の飯沢耕太郎の古屋に対する評価も高い。小林の質問に答えて、

 最初の『メモワール』は何度見直してもすごい仕事。やっぱり背筋が凍るというか、特にコンタクトプリントのところは何度見てもすごい。質の高さといい、写真集の構成も、かなり際立っている。重層的で単純な物語じゃない。非常に複雑な糸みたいなものを編み合わせていくような物語の作り方。素晴らしいですね。もう完璧です。これは戦後の日本人の写真の歴史のなかでも、ベスト10に入る仕事じゃないかな。日本の写真の歴史を抜きにしても、世界の写真評論の歴史に残る素晴らしい仕事だと思う。それぐらいの高い評価が(私には)ある。

 なぜ古屋は自殺した直後のクリスティーネの写真を撮り、それを発表し続けているのか。その答えに小林は徐々に近づいていく。ニューヨークで遭遇した9.11、現場に近かったにもかかわらず制止されて近づくことができず撮影できなかった経験、3.11のときはあえて行くのを自粛した経験。
 古屋の抱える闇と、その古屋に惹かれる小林。3.11を取材に行った写真家たちと行かなかった写真家たちの言葉を引く小林。倫理に抗っても見たがる〈呪われた眼〉という言葉をプラトンから引く。父の最後の瞬間を撮った小林の経験が語られる。
 本書の最後に綴られる言葉。

 古屋にとって、生きることはより親密で、写真を通した妻との関係は深く濃い。絶対に切り離せない。切実でもある。妻と過ごしてきた時間が、すっぽり写真のなかに入っている。もし妻の最後を写真に撮らなかったら、大きく後悔していたはずだ。
 妻の生を撮りながら、古屋は自分の生もまた執拗に撮りたかったのではないだろうか。妻のなかに自分の姿すら見ていたのだから。
〈彼女と向かい会うこと、彼女を撮ること、そして彼女を写真のなかに見ることで、私は同時に『私』を見ること、発見することになる〉(写真展『Portraits von Christine』挨拶文・1979年)

 私も2007年7月に表参道のラットホールギャラリーで古屋誠一写真展を見ていた。亡くなった直後の妻を撮った写真家に違和感を持ったことだけは憶えている。そのことを20年間追求して、こんなにも見事なノンフィクション? 文学? 伝記? に仕上げた小林紀晴に感嘆する。とても優れた仕事だと思う。
 娘が、父さん元気がないけどどうしたのと心配してくれる。辛い内容に圧倒されているんだけど、これを読むことができたのは幸せな経験だった。とても良い本だ。
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 その後、古屋誠一写真集『Aus den Fugen』(赤々舎)を見た。2007年に静岡県クレマチスの丘のヴァンジ彫刻庭園美術館での古屋誠一展に合わせて出版されたもの。二人が出会った1978年のグラーツや伊豆から1985年に亡くなった東ベルリン、その後のグラーツや東京、ニューヨーク、メキシコなどの日常的な風物が順不同に並べられている。ところどころにクリスティーネのスナップが挟まれている。いや順不同に見えるが、古屋が周到に並べたものだろう。35ページに地面に置かれている花輪は89ページでクリスティーネが左手に持っているものだ。79ページのミレーの複製画をバックにカメラを向いているクリスティーネは亡くなる年のものだし、43ページの同じミレーの複製画の手前のポトスは、もう水やりをする人がいなくなって萎れているものに違いない。44ページの台所の壁に吊された鍋は使う人がいなくなった道具を表しているのかもしれない。22ページでお腹を撫でられている猫は、85ページで雪の中を駆けており、69ページでおそらく遺体となって箱のなかに寝かされていて、75ページにそれを埋める穴が掘られている。55ページには伊豆で撮られた幸福そうなクリスティーネの写真が置かれている。写真集を見ていると、写真をプリントし、編集している古屋のことが偲ばれる。古屋の辛さが少し伝わってきて辛くなる。でも55ページと表紙には幸せそうなクリスティーネが微笑んでいる。


メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年

メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年

Aus den Fugen

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