瀬木慎一『戦後空白期の美術』を読む

 瀬木慎一『戦後空白期の美術』(思潮社)を読む。戦後から1963年の読売アンデパンダン展修了までを取り上げている。瀬木はこの時代を最初は身近に目撃し、ついでさまざまな芸術運動に参加した、その具体的な記録としてまとめられている。瀬木が目撃し参加した体験から書いているので、椹木野衣の『日本・現代・美術』と異なり、すべて自分の文体で書かれている。
 菊版で300ページ近くありながら、記録的な記載内容なのでサクサクと読むことができる。章の標題から拾うと、終戦時の藤田嗣治、泰西名画展、日本アンデパンダン展、サロン・ド・メ、前衛美術会、「世紀」、「青美連」、関西の前衛、画廊の変遷、「美術批評」、「現代批評」、「異端の画家たち」展、日本画の危機、多摩美の改革、アンデパンダン展15回、などとなっている。戦後の美術界がていねいに詳しく語られる。通史としてとても参考になる。索引が人名索引、事項索引と充実していて22ページも割かれている。
 読売アンデパンダン展に、アンフォルメルやネオ・ダダ的傾向の影響で、異物が持ち込まれるようになり、会場の東京都美術館からクレームがついた。とくに工藤哲巳の作品はビニールの紐に黒く塗ったコッペパンを多数ぶら下げたもので、美術館からは腐敗のおそれがあるとクレームをつけられた。ほかにも刃物をもった作品とか、人体写真がワイセツとか、問題になった展示がいくつか見られ、美術館によって撤去された。

 作家たちの猛然とした抗議に対して、都美術館は62年12月24日に「陳列作品規格基準」を発表する。次の条項に該当する作品は陳列できないというのである。
 (1)不快音または高音を発する仕掛けのある作品
 (2)悪臭を発しまた腐敗のおそれのある作品
 (3)刃物などを素材に使用し、危害を及ぼすおそれのある作品
 (4)観覧者に著しく不快感を与え、公衆衛生法規にふれるおそれのある作品
 (5)砂、砂利などを直接床面に置いたり、また床を毀損汚染するような素材を使用した作品
 (6)天井より直接つり下げる作品

 しかし、1964年1月に突然、3月に予定されていた第16回アンデパンダン展の中止が主催する読売新聞社より通告された。
 この都美術館の陳列作品規格基準は、現在の美術家たちにすでに普通に破られている。十和田市現代美術館副館長の藤浩志は20年ほど前、銀座のギャラリーなつかでパンを使ってカエルを作り、テーブルの上で腐らせていた。同じころ中山ダイスケは銀座のギャラリーQで刃物を加工した作品を天井から吊り上げていた。石川雷太は銀座のギャラリイKで屠殺されたばかりの血の付いた牛の頭蓋骨を並べ、その額に5寸釘を打ちこんだ作品を展示していた。美術史の本で読んだのだが、上野の末広亭で舞台に登場した美術家がりんごの入ったバケツに脱糞し、そのりんごを客席に投げつけた。皆いけないことばかりしているのだ。
 さて、ところどころ古い雑誌や新聞記事が図版で紹介されている。また画家たちの記念写真も載っている。もう著名な画家たちが若くて生意気そうで笑ってしまいそうになる。


戦後空白期の美術

戦後空白期の美術