ギャラリー現の吉川和江展を見る

 東京銀座1丁目のギャラリー現の吉川和江展を見る(10月13日まで)。吉川は1945年東京生まれ、1969年に武蔵野美術大学を卒業し、1976年ドイツのハンブルグ国立美術大学に入学し、1986年に同校を卒業している。現在ハンブルグ在住。1983年ハンブルグの画廊で初個展、日本では1990年にギャラリー真木で個展を開いている。その後ギャラリーQ、ギャラリーNWハウス、パーソナルギャラリー地中海などで個展をしたほか、2001年からはギャラリー現で毎年、もう12回も個展を行っている。
 吉川のテキストから、

(前略)そのような情報の消費と時間の消費の中で、ますます麻痺し健忘症に陥ってゆく現代の社会が広がっている。あの3.11さえもこの消費社会の論理の中に呑み込まれ、風化されてゆくのかもしれない。
そこで今、改めて「3.11」という数字に眼を留めてみる。それは8.15や9.11、または99%という数字と同じように、そこには明瞭で象徴化された意味が刷り込まれている。本来、数字とは特定の意味を持たない普通名詞と同じはずだけれど、それが場合によっては、特殊な意味を持つ固有名詞のように使われることになる。それとは逆に、福島という地名は、FUKUSHIMAと記すことによって、固有名詞から世界共通の普通名詞に転換される。
このような言語記号の特殊な変化、つまり数字の固有名詞化や地名の普通名詞化というのは、ある事象における「記憶の象徴化・普遍化」ということなのではないか。このような言語の機能を考えるとき、ミラン・クンデラの次のような言葉は、ひとつの重みをもって私たちに響いてくる。
『記憶するということは、権力に対する弱い人間の武器である』
一方、絵画(美術)というのは、あらゆる事物や記号に与えられた「意味=制度」の足かせから、それらを解き放す試みのことでもある。そして、絵画における図像とは、事物であろうと記号であろうと、意味性から逃れた色や形の回復であり遊びでもある。
そこで逆接的ではあるけれども、たとえば「3.11」や「FUKUSHIMA」という、もっとも「意味の固定」された記号(言語)を絵画に取り込むことによって、絵画自体にひとつの横槍を入れることが可能なのではないか。(後略)

 ギャラリー現では吉川は毎回直方体のキャンバスを何枚も組み合わせた作品を展示してきた。今回も60cm×40cmのキャンバスをひとつは15枚組み合わせ、そして12枚の組み合わせと4枚の組み合わせの作品を展示している。ほかに抽象的な大きな作品もある。

 15枚の作品は12人のドイツ女性が描かれている。人物のほかには自衛隊のヘリコプターと富士山、それに「HUKUSHIMA」の文字が繰り返されている。

 12枚の作品は8人の女性、うち緑色の服装の女性は作家本人とのこと、そして「11.03.11」の数字、右下は水爆の爆風を描いたものだという。
 毎年同じような手法−−同一画面を複数組み合わせて大きな矩形の作品を構成する−−で発表しているが、今回ことに完成度が高かった印象がある。おもしろい作品に仕上がっていると思う。

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吉川和江展
2012年10月1日(月)−13日(土)
11:30−19:00(土曜日17:00まで)日祝休廊
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ギャラリー現
東京都中央区銀座1-10-19 銀座一ビル3F
電話03-3561-6869
http://g-gen.main.jp/