佐野眞一『旅する巨人』を読んで

 佐野眞一『旅する巨人』(文春文庫)を読む。副題が「宮本常一渋沢敬三」で、この二人の評伝なのだ。
 最初、宮本常一民俗学の旅』(講談社学術文庫)を読んだ。宮本常一という民俗学者についてはほとんど知らなかった。これは宮本の自伝だった。民俗調査のために日本中をくまなく歩き回っている。それを渋沢栄一の孫にあたる渋沢敬三が援助している。しかし宮本は自己の業績を全く誇らないので、この自伝からは宮本の偉さが分かりにくかった。それでより客観的に書いているだろう佐野眞一の評伝を読むことにした。
 まず宮本の自伝『民俗学への旅』から、

結核で長い療養生活に入った時、宮本は)長い病床ではひたすら『万葉集』を読み、また『長塚節全集』を読んだ。『万葉集』は第4巻あたりまでは完全に暗誦できるようになったし、『万葉集』の半分近くの歌はおぼえてしまったのではないかと思う。

 師である渋沢敬三からは、

「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。(略)」

 これは私が以前「周辺からは世界が見える」と書いたことと似ている。
 さて、『旅する巨人』からいくつか引用する。

民俗学者の)谷川(健一)は宮本と、その民俗学をこう評価づけた。
「宮本民俗学は、日本人の霊魂や神に関心の向かった柳田や折口とは明らかに異質のものです。けれどもそれは決してマイナスという意味ではありません。ひたすら庶民の生活に目を向けたところに、宮本民俗学の醇乎たる世界があります。それは学問的な意味だけではなく、宮本さん自身が美しい日本人でした。

 宮本は地方を回って調査ならぬ生活指導をした。佐渡島で宮本は八珍柿の栽培を指導した。その指導の席の宮本を農業改良センター支部長の信田敬は、

誰の意見にもニコニコと耳を傾けるやさしい一面と、平気で村人を怒鳴りつける恐ろしい一面の両方を見ている。
「宮本先生は集まりのはじめには必ず、村の恥部を仮借なくえぐりだすことをいって村人をシーンとさせるんです。たとえば、この村の人口が安定しているのは昔から間引きが多かったからだ、などと平気でいう。そのアジテーションのうまさはヒットラーなみで、私も体がふるえてくるような興奮を何度も経験しました。でも、村人たちは宮本先生がそこまで村のことを深く考えてくれているからこそ、そんな文句も出るんだということを本能的に知っているんですね。集会はいつも私語もしわぶきも聞こえず、たいへんな熱気でした」

 宮本は被差別部落についてもよく知っていた。

芥川賞をとるだいぶ以前、中上(健次)が部落問題について宮本に教えを乞いにきたことがあった。宮本は自分の知っている限りのことを親切に教えてやったが、後年、部落をテーマにした中上の作品を読んで、(周防猿回しの)村崎にいった。
「中上は部落ちうもんをわかっておらんなあ。中上の部落認識は暗くて浅いのや」
 それは裏を返せば、自分の部落認識は深くて明るいという宮本の自負の言葉でもあった。

 この他、宮本は学生が関西旅行に行って京都や奈良の寺で写してきた鬼瓦の写真を見ただけで、それがどこの寺のものか、瓦はどの年代に焼かれたか、即座にいいあてた。
 宮本常一渋沢敬三の偉大さがよく分かった。そして佐野眞一の宮本と渋沢に対する深い好意がありありと感じられた。この本を読書中の4日間は幸せな時間だった。宮本の『忘れられた日本人』(岩波文庫)も読んでみよう。

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)

民俗学の旅 (講談社学術文庫)

民俗学の旅 (講談社学術文庫)