宮本常一『イザベラ・バードの旅』を読む

 宮本常一イザベラ・バードの旅』(講談社学術文庫)を読む。副題が「『日本奥地紀行』を読む」とあり、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』をテキストに、宮本常一日本観光文化研究所で行った講義をもとに、宮本没後に未来社から刊行されたものを文庫化している。

 日本を代表する民俗学者である宮本が、明治初期にたった一人で(通訳兼従者の青年一人を連れて)東北から北海道まで3か月旅行したイギリス人女性イザベラ・バードの優れた旅行記『日本奥地紀行』について、民俗学の視点から解説してくれている。

 日本の旅行で大変だったのは、どこへ行ってもノミの大群に悩まされたことと、馬が貧弱だったことだと言う。日本の馬は非常に小さく、乗馬としても運搬に使うにも甚だ不十分だった。だから西日本では田圃で犂を引くときは牛を使っていた。

 味噌汁については「ぞっとするほどいやなもののスープ」と言っている。それは匂いの問題だろうと宮本は推測する。

 宿の女主人が未亡人で、家族を養っている、とバードが書いているのに解説して、宮本は言う。

 この時期女の地位というのはそんなに低いものではなかった。少なくとも明治の初め頃まではある高さを持っていたのではなかったか。それを裏付けるのが明治以前の宗門人別帳で、その順序は、まず戸主、次に必ず女房、そして子どもの名前がきて、たいていは隠居した老人夫婦が最後だった。それが明治になって民法ができ、それに従って戸籍ができると、戸主、次に戸主の父母、そして伯父伯母そして女房、子どもとなる。つまり女房より年上の者が、女房との間に割り込んでくるようになった。

 アイヌが帯に短刀のような形をしたナイフをつけている、とバードが書いていることに触れて、日本でも700年くらい前までは坊さんまでが腰に小さな刀を差していたと宮本は言う。これはもともとは物を料理するためのものだったろう。これが様式化して残ったのが武士の脇差しだろうと。

 

イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む

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