ゴールズワージー『林檎の木』を読む

 ゴールズワージー著、法村里絵訳『林檎の木』(新潮文庫)を読む。私の古くからの友人が、感動した小説として4冊を挙げた。ドストエフスキー罪と罰』、スタンダール赤と黒』、ツルゲーネフ『初恋』、ゴールズワージー『林檎の木』だった。私はこの内『罪と罰』しか読んでいなかった。それで初めてのゴールズワージーを読んだ。

 そのストーリーは、友人と旅行の途中、裕福な学生アシャーストは怪我をして近くの農場に泊めてもらった。友人は彼を置いて旅を続けていった。アシャーストは農場主の姪で農場で働く少女ミーガンを見初め、彼女も彼を気に入って、深夜リンゴの木の下でデートをする。抱き合ってキスをして(キスしただけ!)アシャーストはプロポーズする。ミーガンはそれに対して、「まあ、とんでもない! 結婚なんてできません。おそばにいられるだけで充分です!」と答える。

 翌日アシャーストは彼女と駆け落ちをするための資金を銀行から下ろそうと街に行くが、そこで別の友人とその妹たちに会ってしまう。彼等と過ごしていて銀行の営業時間が過ぎてしまい、その日にはお金が下せなくなってしまう。翌日も友人たちと遊んでいて牧場に帰る機会を失ってしまう。

 そんな話が続くのだけれど、なぜミーガンが結婚なんてとんでもない、傍にいられるだけで充分なのか説明がない。巻末の解説にもそれはなかった。いや、訳者あとがきで、「ミーガンは彼に一目惚れしながらも、身分違いの恋に苦しんでいます」とある。

 イギリスの読者にはよく分かっているだろう。イギリスは階級社会だ。アシャーストは裕福な上流階級でミーガンは労働者階級だ。ふたつの階級は言葉も違っているだろう。翻訳ではそれが訳し分けられていないが、原著では二人の会話はそれを表しているのではないか? オードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』はヒギンズ教授が花売り娘イライザを見初め、イライザの下町訛りを矯正してレディに仕立て上げる話だ。階級の違うアシャーストとミーガンが簡単には結婚できないことがよく分かっているので、ミーガンは傍にいられるだけでいいと答え、アシャーストは駆け落ちすることを考えたのだろう。

 『林檎の木』の翻訳は各種あるようだけど、ほかの訳者はミーガンとアシャーストの言葉を訳し分けているのだろうか?