四方田犬彦『モロッコ流謫』を読む

 四方田犬彦『モロッコ流謫』(ちくま文庫)を読む。ざっくり言えば北西アフリカのイスラム国モロッコ紀行だが、モロッコに住んでいた作家ポール・ボウルズを巡る文学的エッセイとも言いうるもの。アメリカ出身のボウルズはベルトリッチ監督の映画『シェルタリング・スカイ』の原作者で、長くモロッコに住み、四方田の尽力もあって日本では晶文社から作品集も出ている。私は小説も読んでいないし映画も見ていないが。
 四方田はモロッコの北の都市タンジェから紀行を書き始める。スペインのマドリッドから1時間ほどの飛行時間だ。歴史が古く、スペインがイスラムの支配する土地だった頃からジブラルタル海峡をはさんで重要な街だった。
 モロッコを舞台にした映画として四方田は、『カサブランカ』のほか愛川欽也の『さよならモロッコ』、ダニエル・シュミットの『ヘカテ』などを挙げる。四方田はやっと探し当てたボウルズと語り合う。ボウルズはキフを吸っている。キフとはインド大麻の大葉を乾燥させ、細かく刻んだものでパイプにつめたり煙草のように紙巻きにして吸引する。
 つぎに四方田は内陸の街フェズを訪ねる。フェズは迷路のような街だ。山田吉彦きだみのる)もフェズを訪れ、『モロッコ』(岩波書店)という紀行を書いている。
 四方田はモロッコの中央に聳えるアトラス山脈を越えてワルザザード、ザゴラ、タムグルドまで足を伸ばす。紀行に重ねながらボウルズの小説に触れていく。いつのまにか読んだことになかったボウルズという作家が身近な存在として感じられている。何か読んでみようかという気がしてくる。
 三島由紀夫の弟平岡千之モロッコ大使に会った話が面白かった。ラオスビエンチャン日本大使館にいた平岡に、亡くなる数年前の三島由紀夫からパリから日本に戻る前にそちらに立ち寄るという通知が来た。ラオス国王に日本の有名な小説家が参りますがと謁見を求めると、王からはひとこと、そのものはプルーストを解するかと下問された。王はパリで学んだ頃から『失われた時を求めて』の魅力に取りつかれていた。数日後に現れた三島由紀夫は王の理想的な話し相手だった。機嫌をよくした王は、三島のために特別に、幼げな王子や王女たちにむかって『ラーマーヤーナ』の芝居を演じるように命じた。三島はその舞台にひどく感銘を受け、やがてその一切は『暁の寺』にそっくり写しとられた。
 知らない国、知らない作家が語られる本書は、最初取っつきの良いものではなかった。しかし読み終わって見ればなかなか奥行きの深いエッセイであった。エッセイストクラブ賞を受賞した四方田の韓国紀行『ソウルの風景 -- 記憶と変貌』(岩波新書)に比べれば一歩を譲るけれど。