山崎正和『世界文明史の試み』の書評から

 毎日新聞2012年1月29日の書評欄に山崎正和『世界文明史の試み−−神話と舞踏』(中央公論新社)の書評が載っていた。書評子は三浦雅士、その一節、

 特筆すべきはまず思索の起点そのものを百八十度転換させたこと。いかなる思索であれ、意識、すなわち「我思うゆえに我あり」から始めるのが定番だが、著者は身体から語り始める。身体は呼吸にせよ歩行にせよ反復から成り立つ。それがうまくいかなかったときに初めてそれまでの身体の慣習が意識される。意識は実体ではない。先験的あるいは超越論的といわれる時間空間意識でさえも身体が育んだ慣習にほかならない、というのだ。明確なカント批判だが、分かりやすく説得力がある。「神話と舞踏」という副題が腑に落ちる。

 なんと魅力的な考え方だろう。下等生物には意識がないこと、人間でも内蔵には意識が及ばないこと、血液の循環にも胃腸の消化活動にも意識は全く関与していないこと。まず身体があるのであり、その及ばない部分に意識が発生したのだろう。身体をもっと重視するべきだ。
 本書は3,360円もするが、これは読んでみたい本だ。
 いつも思うことだが、書評に関しては朝日、読売に比べて毎日新聞がダントツに優れている。


世界文明史の試み - 神話と舞踊

世界文明史の試み - 神話と舞踊