鉄の壁は幸せか?

 先日、川崎洋の詩「鉛の塀」を紹介した。id:mmpolo:20070714

言葉は
言葉にうまれてこなければよかった

言葉で思っている
そそり立つ鉛の塀に生まれたかった
と思っている

 では「言葉」が憧れた鉛の塀の気持はどうだったのか。アメリカのミニマル・アートの彫刻家リチャード・セラが、鉛の塀ではないが鉄の壁の作品を作っている。ニューヨークのフェデラルプラザに置かれた弓形にカーブする大きな鉄の壁だ。長さ約37m、高さ3.7mの作品「傾いた弓形」は広場を二分して設置された。しかし市民たちから圧迫感がある、通行に不便だ等々評判が悪く、ついに撤去されてしまう。
 どうやら鉄の壁も決して幸せではなかったようだ。

 ついでにミニマル・アートについて「ウィキペディア」から。

ミニマル・アートは、視覚芸術におけるミニマリズムであり、装飾的・説明的な部分をできるだけ削ぎ落とし、シンプルな形と色を使用して表現する彫刻や絵画で、 1950年代後半に出現し、1960年代を通じておもにアメリカ合衆国で展開した。 先行する抽象表現主義を批判的に継承しつつ、抽象美術の純粋性を徹底的に突き詰めた。

 具体的には、ドナルド・ジャッド、フランク・ステラ、ロバート・モリス、リチャード・セラなどだ。東京都現代美術館にはドナルド・ジャッドの箱の作品が常設に展示してある。
 ミニマル・アートと強い関連のあるミニマル・ミュージックについては、いずれまた。