H.G.ウェルズ『タイム・マシン』を読む

 H.G.ウェルズタイム・マシン』(岩波文庫)を読む。古典的なSFで、私も昔ほぼ60年前に読んでいる。今回読み直したのは今はやりのAIの先取りではないかと考えたからだ。(ネタバレあり)。

 『タイム・マシン』は130年前に発表されたが、時間を旅行するという設定で主人公は80万年後の世界に行って帰ってきている。その未来では人類はエロイとモーリックという2つの人種に分かれている。エロイは地上に住み、働くことなく遊んで暮らしている。しかし知能や体力などは衰え、自力で生活することができない。モーリックは醜く、地下に住み、地下世界で生産を行っている。

 この地上のエロイと地下のモーリックは、当時のイギリス社会の上流階級と労働者階級がそれぞれ進化したものと考えられる。当時からイギリスは階級社会で、教養も言語も異なっていた。それが極端に進化してエロイとモーリックに分化したとウェルズが考えたわけだ。

 本書から、

(資本家たちは現在)高等教育を受けて洗練され、彼らと貧乏人との差が拡大した結果、保身のために土地の大部分を囲い込んでいる。たとえばロンドンでは、よい土地の半分以上が私有地として囲われてしまっている。高等教育の拡大と延長、富める者たちの生活の便利と贅沢に起因する階級間のみぞが拡がっている。そのために英国では階級間の交流が阻害され、階級分裂を食いとめていると思われる(ママ)。異なる階級間の結婚もみられなくなってしまった。こんな状態が続けば、地上では富める者だけが快楽と安寧と美の生活を送るいっぽう、貧しい労働者は地下に追いやられて、そこで労働だけに従事するということになるだろう。(中略)そのうち地下に適応した人間たちが生き残り、それなりに幸福な生活を送るようになるだろう。地上に残った富める者は、繊細で美しい人間に、地下の労働者たちは青白い肌の人間に変化してゆくのは当然だ。

 

 現在生成AIが発達してきて、いずれ人間のほとんどの仕事をAIが担当することになるだろう。すると人間は働く必要も考える必要もなくなり、人間に残されるのはただ享楽だけになるのではないか。AIがモーリックで人間がエロイの関係になるのではないかと考えた次第だ。

 

 

 

ギャラリー枝香庵Flatの木下晋展を見る

 東京銀座のギャラリー枝香庵Flatで木下晋展「いのちの系譜」が開かれている(1月16日まで)。木下晋は1947年富山県生まれ、1969年評論家瀧口修造に出会い、洲之内徹らに認められる。ギャラリーのホームページから、

瞽女小林ハルや元ハンセン病患者の詩人・桜井哲夫など独自の鉛筆画で描き続け、現在パーキンソン病の妻をモデルにした作品の制作を続けている。



 国内の様々な美術館で展示を行い、多くの美術館のパブリック・コレクションとなっている。美しいものを描く画家とは真逆な世界を取り上げている。現在78歳だが、最新作が並んでいる。

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木下晋展「いのちの系譜」

2026年1月7日(水)-1月16日(金)

11:30-19:00(日曜日、最終日17:00まで)1/14(水)休廊

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枝香庵Flat

東京都中央区銀座3-3-12 銀座ビルディング7F

電話03-3567-8110

https://echo-ann.jp/

 

 

ギャラリー58の「Square展」を見る

 東京銀座のギャラリー58で「Square展」が始まった(1月24日まで)。これは「30×30cmの正方形展」と言い、46人の作家が30×30cmの小品を1点ずつ出品している。

 興味を持った作品を紹介する。

 

秋山恭子

弥永隆広

川崎英世

小鶴幸一

さかいようこ

田中彰

中村宏(1月8日に亡くなった。享年93)

中村龍馬

松田洋子

山下耕平

吉田公美

吉野辰海

 

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「Square展」

2026年1月9日(金)-1月24日(土)

12:00-19:00(土曜日は17:00まで)日曜休廊

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ギャラリー58

東京都中央区銀座4-4-12 琉映ビル4F

電話03-3561-9177

http://www.gallery-58.com

大日本帝国の奇形児たち

 深作欣二の「死は御破算、それが核となって」を読んだ。週刊朝日偏『ひと、死に出あう』(朝日選書)に収められている一篇だ。本書には67人の死に関するエッセイが収録されている。

 深作欣二はわが師山本弘と同い年の1930年生まれ。終戦に関して山本弘と似たような経験をしているのではないかと読んでみたが、正に山本弘が書いたとしてもおかしくない内容だった。ダイジェストして引用する。

 映画監督深作欣二は50数本撮った映画のうち、死体の出てこない映画は1本しかない。その理由を深作は中学3年の時の体験に由来するもののようだと書く。深作欣二この時15歳。

 

 昭和20年7月のある朝、私は勤労動員先の兵器工場で、初めて大量虐殺の現場を見た。

 アメリカ機動部隊の艦砲射撃で一夜のうちに廃墟と化した工場跡の瓦礫の中には、夜間作業のために逃げ遅れた20数人の工員たちの首、手足、胴体、内臓、その他、どの部分のものとも知れぬ肉片がバラバラに飛び散っていた。

 私たちはそれらを一つ一つ拾い集め、急ごしらえの粗末な棺におさめて、工場裏の空き地に仮設された火葬場へ運んだ。粗削りの杉板のすき間からは、死者の体液が牛のよだれのように流れ出して、悪臭とともに私たち担ぎ手の首筋や肩を濡らし、私たち自身の汗とまじり合って、背や腹の中にまでつたい落ちた。級友全員がゲロを吐いた。しかも棺を担いだままだったので、口からほとばしるものを拭うこともできなかったが、何がどうなろうと大した違いもなかった。やがて積み上げた薪の上に棺が並び、ガソリンがまかれ、火が放たれた。黒煙が渦巻き、人肉の焼けるなまぐさい臭気が立ちこめ、またしてもこみあげてくる吐き気に悩まされながら、私たちは表情を閉ざし、木偶人形のように立ちつくした。内心ひそかにこんな悪たいをつぶやきながら――。

(馬鹿にしやがって、こんなざまでなにが聖戦だよ、靖国神社だよ、天皇、政治家、軍人、役人、学者、教師たち、今までおまえらが言ったり書いたりしてきたことは、何から何まで嘘っぱちじゃねえか……)

 しかし、誰もそれを声にする勇気はなかった。それどころか、当時すでに全滅したと伝えられていた沖縄の中学生や女学生たちと同様、遠からず上陸してくるアメリカ軍の十字砲火によって、粉みじんに吹き飛ばされて死ぬのだ、とあきらめていた。

 連日の無差別爆撃や機銃掃射の合間、防空壕の中で私たちはささやき合った。

「どうせなら直撃弾がいいな。痛いなんて感じるひまもなく御破算だからな……」

 その頃の私たちにとって、〈死〉はまさしく御破算であった。カチャというソロバンの一振り、人間の生死なんてそんなものさ。こういうヤケクソな認識しか、私たちには持ち得ようもなかったのだ。

 そう言いながらも、至近弾の炸裂のたびに私たちは争って級友の体の下へもぐり込もうとした。生への執着とか死への恐怖とかいうほどのものではない。ただの瞬きのような反射的な行動だった。だから空襲が終わると私たちはモゾモゾと起き直り、お互いの行為を非難することもなく、すりむいた手や肘などを舐めながら、無感動な顔でうずくまるのだった。あとはただ、容赦なく近づく最後の時を待つだけであった。

 思えば私たちは、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続く〈虐殺の時代〉に、ただ殺し殺されるためにのみ生み出された〈大日本帝国の奇形児たち〉だったのである。

 しかし、それから1カ月後、奇妙な音声のラジオ放送とともに、アッケなく戦争は終わった。

 カッと照りつける太陽の下で、私たちは学校の焼け跡に腰をおろし、生き残った感動などこれっぽちもなく、ただうんざりと気が遠くなるような未来を思った。もの心ついて以来、「死にゃいいんだろう」と居直り続けてきた奇形児たちは、死ぬことはあまり恐れなかったが、生きるとはどういうことか想像もつかなかった。今までその意味や仕組みを教えてくれたおとなたちは、ただの一人もいなかったのだから。

(中略)

 おのれの内部によるべき核がなければ、表現などという仕事はつとまりはしない。その核が、私にとっては「死」だった。あの夏の日、私たちの手に残骸をゆだねた「死者たち」であった。

 

 

 

 

三枝昂之『百年の短歌』を読む

 三枝昂之『百年の短歌』(新潮選書)を読む。年末の毎日新聞書評者の「今年の3冊」で東直子が推薦していた。

東直子

『百年の短歌』三枝昂之(新潮選書・1815円)

 百年の間に生まれた名歌を多様な切り口で分類しつつ、一人一人の書き手の特徴を詳細に伝える。中央歌壇で活躍した歌人だけでなく、文学者や科学者、投稿歌なども取り上げ、短歌の裾野を広げる力のあるアンソロジーである。

 

 百年間の105人の歌人を取り上げ、一人につき見開き2ページで紹介している。確かにとても素晴らしいアンソロジーだ。何点か紹介する。

 

沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ    雨宮雅子

 人知れず世を去る。その静かな死を人はどうしてあわれむのでしょう。水面にひっそりと咲く沢瀉の健気な生の営みと少しも変わらないのに。

 孤独死はむしろごく自然な事態ではないのか。提出歌はこう述べ、その静かで揺るがない思いを縁取る沢瀉のシンプルな白さが味わい深い。

 

秋の始まりは動物病院の看護婦(ナース)とグレートデンのくちづけ   穂村弘

 いまの若手にとって短歌の世界は穂村弘から始まる。極端にいえば、彼らは穂村より前の世代は眼中にない。その理由はどこにあるのだろうか。

  終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて

 例えばこの歌の〈降りますランプ〉のぴったり感だろう。これが「降車ボタンに囲まれながら」であればごく普通の表現、若者たちにはスルーされるだろう。

 身近な風俗を今日的な感触にリニューアルする。そこに穂村の吸引力があり、季節の歌にもその特徴は生きている。

 

ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる    萩原慎一

……お互い非正規であることを確かめ合いながら牛丼を食べる。安くてすぐに出てきて、結構おいしい。牛丼はランチに不可欠と若者に聞いたことがある。そのささやかな連帯感をいたわるような「秋がきて」から、ほんのり切ない詩の香りが広がる。

 

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ    塚本邦雄

 歌が示すのは革命歌の作詞家が得意げなポーズでピアノに寄りかかる図、それに反応してピアノが溶け出してしまう図である。ダリを思わせるその図からは戦後に広がった革命幻想への侮蔑が滲み出す。いま読めば図式的すぎる構図と感じないこともないが、なぜ塚本はこの主題を選んだのか。

 

そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています   東直子

 提出歌はなにがきれいだったのか。読者はあれこれ手探りを強いられる。大曲の花火、残雪の岩手山を背景にした小岩井農場の一本桜。いやいや、小鳥と向き合う孤独な気配からは誰かの晴れ姿など賑やかな人事が相応しいか、などなど。

 実はこの歌の上二句、松田聖子が結婚したときに元カレの郷ひろみが漏らした言葉。それを活用した、と東さん本人が教えてくれた。するとこの下の句、広い曠野に独り佇む郷ひろみの心象とも読めるが、補助データなしに向き合うのも大切。見えてくるのは華やぎの外にいる黙々たる暮らし。それも悪くないのでは。

 

 優れた短歌のアンソロジーだ。一家に一冊と言いたいほどに。