米原万里『マイナス50℃の世界』(角川ソフィア文庫)を読む。米原万里が1984~1985年にTBS取材班の一員(通訳)として、当時ソ連のヤクート自治共和国(現サハ共和国)を、200年も前にシベリアに漂着した日本人たちの足跡をたどって横断した記録。
サハ共和国の面積は日本の面積の8倍の広さがあるが人口は95万人しかいない。ここは北半球で最も寒い酷寒の土地である。冬の日照時間は4時間足らず。前の車が発する排ガスがたちまち凍って濃霧となるので視界が1メートルくらいになる。大きな川は冬は凍って自動車道になる。
冬は厚さ1メートル以上氷の張ったレナ川で穴を開けて釣りをする。釣り糸に魚がかかったら引き上げる途中で凍ってしまう。時間にして10秒くらい。天然瞬間冷凍だ。
冬の雪道ではスパイクタイヤもチェーンも着けない。寒すぎて氷は滑らないという。滑るのは春先で、スキーやスケートも春先の遊びだという。
飛行機もマイナス50℃以下になると機体の水分が氷結してエンジンの動きが鈍くなり墜落の恐れがあるので飛行禁止になってしまう。
家屋の窓は三重になっている。便所は外で囲いの中に地面に直径30cmほどの穴が掘ってあり、その中に汚物が散乱しているがコチコチに凍っているので臭気はない。マイナス70℃になるところで排便をしているのだ。
ビニールは戸外に出ると一瞬のうちにコチコチに硬くなりヒビが入ってちぎれたり、プラスチックはコナゴナに崩れてしまった。身につけるものはすべて毛皮や純毛、天然繊維を使う。
とにかく日本の常識が通用しない国なのだった。米原万里の処女作。
