『米原万里ベストエッセイI』が秀逸

 『米原万里ベストエッセイI』(角川文庫)を読む。タイトル通りの傑作集だった。米原はロシア語の同時通訳者でエッセイスト、小説家。9歳から14歳まで当時のチェコスロバキアの在プラハソビエト学校で学んでいる。彼女の通ったロシア語の学校生活や同時通訳の仕事を絡めた体験をエッセイに綴っている。これがとても面白い。
 そのロシア語学校には、世界50か国ほどの子どもが学んでいた。まず最も早くしゃべり出すのが、ロシア語と親戚関係にあるスラブ系の言語を母語とする子どもたちだ。ブルガリア人は1カ月で、チェコ人、ポーランド人、ユーゴ人は2―3カ月でほぼ自由にコミュニケーションがはかれるようになる。フランス人、イタリア人、ルーマニア人、ブラジル人のようなロマンス語系を母語とする子どもたちや、ドイツ人やイギリス人のようなゲルマン語系の子どもたちは4−5カ月、朝鮮語モンゴル語、日本語など言語的に最も離れた言葉を母語とする子どもたちは6−7カ月かかった。ところがスラブ系の子どもたちはいつまでたっても母国語の訛りをロシア語に響かせ、最後まで完璧なロシア語を身につけられない。それに対して、日本人やアラブ人や朝鮮人の子どもたちは、より完璧なロシア語をマスターしてしまう。米原もロシア語教師から「姿が見えなければ、完全にロシア人だ」と言われた。
 「美女の基準」という章がある。14歳で日本に戻った米原は、当時日本でもっとも美人とされていた吉永小百合が「どうしても美人に見えな」くて、むしろ「何て、醜い顔なんだろう」と感じていたという。前歯2本が異常に大きくて、ネズミそっくりに見えた。生まれてこの方一度も日本人に会ったことのない外国人が、吉永小百合の写真だけ見せられたら、「こんな顔を背けたくなるようなブスが美女となる日本人は、よほど醜い種族に違いない」と誤解するのではないか、とまで言っている。それが帰国後5年ほども経つと、吉永のことを「何て綺麗な人なのだろう」と心の底から思ったという。美の基準は動くものらしい。私もフランスの美人女優の代表カトリーヌ・ドヌーブのことをどうしても美人と思うことができない。それがいつも不思議だった。『シェルブールの雨傘』を見て感動しても、彼女の美しさというものがいまだに理解できないでいる。もしかしたら、私もフランスに長く住めば岡田茉莉子より彼女の方が美しいと思えるようになるのかもしれない。
 「トルコ蜜飴の版図」という章では、ハルヴァというお菓子がどんなにおいしいか語っている。ケストナーの『点子ちゃんとアントン』という小説には、トルコ蜜飴というお菓子がでてくる。それがチェコプラハの駄菓子屋にあった。並のキャンディーやチョコレートでは太刀打ちできないくらい美味しい。ところがロシア人のイーラは「これならハルヴァの方が100倍美味しいわ」と言う。夏休みモスクワに帰った彼女が買ってきたハルヴァを食べてみると、「美味しいなんてもんじゃない。こんなうまいお菓子、生まれて初めてだ。たしかにトルコ蜜飴の100倍美味しい」という。そのハルヴァが二度と手に入らない。何度もモスクワに出張した父に頼んだが、どこを探しても見つからなかった。ハルヴァはヌガーや求肥(ぎゅうひ)や落雁の親戚みたいだとも言う。各地にハルヴァという名前のお菓子があるが、イーラがモスクワから持ってきたハルヴァとは雲泥の違いだ。それが最後にソ連料理研究家の『料理芸術大辞典・レシピ付き』に記載されていた。ハルヴァはイランが発祥の地と推定されており、前5世紀ころから知られている。素材は極めてシンプルなものだが、それを調理する技術によって完成するものなのだ。その技術は専門の職人一人ひとりの企業秘密になっている。それは近代工業的方法ではどうしても真似できないのだとある。同じ名前のハルヴァでも特別な職人(カンダラッチ)が作ったものでなければ本当のハルヴァではないのだ。(だからWikipediaにある説明は役に立たない)。
 もっともっと面白いエピソードなどが山盛りのように紹介されている。米原万里が10年前の5月に56歳で亡くなってしまったのが本当に惜しまれる。