藤田一照・伊藤比呂美『禅の教室』を読む

 藤田一照・伊藤比呂美『禅の教室』(中公新書)を読む。副題が「坐禅でつかむ仏教の真髄」とあり、曹洞宗の僧侶である藤田が詩人の伊藤と禅について対談したもの。藤田は大学院を中退して禅の修行道場に入門し、6年後の1987年に師の命を受けて渡米、アメリカの坐禅堂で17年半暮らした。その後日本に戻っている。現在、曹洞宗国際センター所長。伊藤は青山学院在学中から過激な詩を発表して来た詩人だが、最近は仏教経典や仏教説話の現代語訳に取り組んでいる。2人とも60歳ちょっとで1歳違い。
 対談は伊藤が藤田に質問すると言う形で進められる。章のタイトルが「そもそも禅てなんですか?」、「私の坐禅は正しい坐禅?」、「正しく坐るのも一苦労?」、「坐禅の効用って?」、「日本の禅、海外の禅」、「今夜、坐禅をする前に」となっている。まあ、これでだいたいの内容が推測できるだろう。読んでいて実に面白い。伊藤は坐禅に通ったことがあったが、長続きしないでかやめてしまった。「40分も足を組んで何もしないのは苦痛だった」と言う。前田が、苦行でなくすためには自発性が大事だという。自発的にやっていれば苦しくても楽しい。伊藤が坐禅についてとことん質問する。その間に禅の歴史や哲学が語られる。しかし中心は坐禅のことで、その方法や意義、他宗派との違いなども指摘される。したがって坐禅についてはよく分かる。面白く読むことができる。しかも対談だから難しいことはあまり言わない。入門書としてとても良いと思う。
 ただ、坐禅を知りたい、実践したいとういう伊藤の興味に対して行われた対談なので、「禅の教室」と言いながら「坐禅」に重心が置かれている。禅そのもののことをもっと詳しく知りたいと思ったとき、多少なりと不満が残るのも事実だ。禅の歴史や哲学、曹洞宗臨済宗黄檗宗の違いなどを詳しく語ってくれたらと過剰な要求をしてしまう。それは無理なのだ。質問者が伊藤比呂美なのだから。だからこそやさしく語ってくれて入門者に入りやすい形になったのだ。いつか藤田一照と西洋哲学を学んだ研究者との対談が企画されれば面白いのではないか。