シベリアのトイレ

 朝日新聞の投書欄に「忘れられないトイレ」という投稿が載った(2019年2月18日付)。静岡県岩崎弥之助という95歳の人だ。

45年前、旧満州から西シベリア(現ロシア)のバルナウルという街に送られ、貨車の修理工場の雑役をさせられた。犠牲者の多かった伐採など酷寒の屋外と比べ、屋内作業であったことは幸運だった。
 朝8時出勤。外は暗かった。最初は食事も少なく、野草のアカザなどを採って足しにした。そんな折、戦友がくれた肉の小片がとてもおいしく、聞くとネズミだった。
 驚いたのは工場のトイレ。幅2、3メートルの溝で、そこにお尻を向けて大用をする。仕切りはなく横に並んだ工場の監督と「いつ帰国できる?」「すぐだ」と会話。彼らはお尻を拭かないようだった。紙の調達には苦労した。(後略)

 ロシアのトイレというと思い出すことがある。昔の知人に私が夜の帝王とあだ名をつけた男がいた。半端じゃない夜遊びをしていた。ある時、錦糸町のデパートにきれいなロシア人の女性がいたよと言うと、即座にロシア人は臭いからと言う。ロシア人のホステスが側に来ると臭いのだと。ひどいことを言うと思った。その後で米原万里のエッセイを読んだら、臭いわけがはっきり書かれていた。そのことをビデオのカメラマンに話したら、そうなんだと教えてくれた。彼はNHKの仕事で長くシベリアに野鳥の撮影に行っていた。ロシアにトイレットペーパーが普及したのはここ10年ですと。(この話を聞いたのももう10年前になる)。
 同じことを戦後シベリアに抑留されていた日本兵の体験記でも読んだことがあった。トイレットペーパーが支給されないので、捕虜には与えないのだろうと思っていたら、ソ連の兵隊も同じトイレを使ったとき紙を使わなかった。それでソ連には紙を使う習慣がないことを知ったと。