中沢新一『チベットの先生』を読む

 中沢新一チベットの先生』(角川ソフィア文庫)を読む。チベットの先生とは中沢がチベット仏教を学んだケツン・サンポ先生のこと。表紙には先生と並んだ中沢の写真が使われている。なんとなく四方田犬彦の『先生とわたし』を連想した。四方田は彼が師事した由良君美との微妙な関係を逡巡しながら書いていて、優れた伝記になっていた。以前ここで紹介したことがある。
 本書はそれなりに面白かった。チベット仏教を深く学んでいたケツン先生は、チベットに侵攻してきた中国に追われてインドへ亡命する。そのケツン先生の幼少時からさまざまなチベット仏教の教えを受け高度の修行を経て優れた僧になっていく過程が詳しく語られている。
 では私は何が不満なのか。表紙には大きく中沢新一の名前が、中沢だけの名前が出ている。ところが実際は中沢の文章は全体の6分の1程度の50ページ弱、「序文にかえて」の「雪の国から来た先生(ラマ)たち」に過ぎない。残りはすべてケツン・サンポ・リンポチェの自伝なのだ。チベット語で書かれた自伝を中沢が翻訳している。まあ、中沢の要請によって書かれたらしいのだが、これではどう見ても中沢が著者であると思うだろう。
 奥付の前に次のように書かれている。

本書は1997年7月に角川書店から刊行された『知恵の遥かな頂』(ラマ・ケツン・サンポ著/中沢新一編訳)を大幅に加筆・改題し、文庫化したものです。

 単行本発行後18年後にやっと文庫化されたということは、単行本がいかに売れなかったかということが想像される。だから本当は編著にすぎない中沢の名前を前面に出すことでようやく文庫化したのだろう。
 これはフェアではない。そのことを知っていたら買わなかったし読まなかった。結果的に読んだことによってチベット仏教の修行について知ることができたのだったけれど。