ツルティム・ケサン、正木晃『増補 チベット密教』を読む

 ツルティム・ケサン、正木晃『増補 チベット密教』(ちくま学芸文庫)を読む。本書裏表紙の惹句から、

インド仏教の本流を汲むチベット密教は、解脱への手段として、長らくタブー視されていた「性」まで取り込んだため、興味本位による憶測と恣意的な解釈が先行し、正確な教義や修行法が一般に伝えられることは不幸にして少なかった。しかし、その教えは今日、世界各地の新宗教現代思想にまで多大な影響を与えている。本書では、その長い歴史と個性的な指導者たちの活動を紹介。さらに、正統派のゲルク派ほか諸流の教義や性的ヨーガを含む具体的な実践=修行法も解説し、チベット密教の本質とその奥にある叡智を明快に解き明かす。マンダラについての書下しを増補した決定版。

 チベット密教に対する私の知識がなく、それに対して本書は易しいけれど体系的に書かれていて、チベット密教を網羅している印象がある。それで内容を私が要約する自信がなく、本書の紹介を全文掲げた。
 全体が2部構成になっていて、第1部が「歴史篇」でチベット密教とはなにか、チベット密教の歴史、そして最も偉大で後世への影響力が大きかったゲルク派のツォンカパの生涯が紹介される。ツォンカパは顕教を学び、後期密教である『秘密集会タントラ』の本質を確定したとある。顕教密教を統合した。
 第2部が「修行篇」で、ゲルク派密教修行、秘密集会聖者流、カギュー派・サキャ派ニンマ派の修行法が語られる。『秘密集会タントラ』は冒頭に、「ブッダは、あらゆる如来たちにとって身体・言葉・精神の源泉である複数の女性たちの性器のなかにおられた=女性たちと性的ヨーガをしておられた」と書かれている。『秘密集会タントラ』とは、「あらゆる秘密の真理が集められた密教経典」のことで、日本密教で最重要の経典とされる『金剛頂教』の発展形態であり、『金剛頂教』がすでにはらみながら、時が熟さず、語ろうとして語りえなかったことがらが、ブッダ成道に想を得た物語に仮託されて展開していく。
 密教のイニシエーションが灌頂(かんじょう)で、導師が弟子の頭頂に水を注いで聖別する行為だ。チベット密教の灌頂には4つがあるが、このうち秘密灌頂と般若智灌頂は性行為が必須の儀礼となっている。この秘密灌頂が驚くべきものだ。

 秘密灌頂では、弟子が導師に「大印=マハームドラー」と称される妙齢の女性(16歳の美しい処女と特定される場合が多い)を性的パートナーとして捧げ、導師は彼女と性的ヨーガを実践する。導師はおのれが射精した精液と女性の愛液との混合物を、女性の膣内から取り出し、弟子の口中に「菩提心」として投入する。これで弟子には菩提心が植えつけられたことになる。

 般若智灌頂では弟子が女性と性的ヨーガを実践するが、この時、弟子は射精を堅く戒められる。その後ゲルク派では、現実に性的ヨーガを実践するのではなく、瞑想の中の行為として性的ヨーガを営むべきだとされる。
 これらに続いて複雑な密教修行の具体的な方法が記される。
 補遺に置かれた「チベット密教のマンダラ世界」の章が興味深い。インドにはもうほとんど存在しないマンダラが、チベットには数多く残されていて、日本のマンダラは、その種類の多さや数の点において、チベットに遠く及ばないとある。なるほど白黒の図版で紹介されるチベットのマンダラは、壮麗で見事なもののようだ。著者の正木が10回にわたって訪れ調査したというペンコルチューデ仏塔は9階まであり、基底部が50m四方、高さは42m、龕室(がんしつ)の数75、描かれたり立体化された仏画や彫像、そしてマンダラの総数は約2万にのぼるという。その詳細は国立民族学博物館から『チベット仏教図像研究―ペンコルチューデ仏塔』として発刊されている。
 巻末に「より深くチベット密教を知るための読書案内」が付されているが、これが詳しい。入門書として、松長有慶『密教』(岩波新書)と瀬富本宏『密教―悟りとほとけへの通』(講談社現代新書)が挙げられている。これは読んでみたい。また解説の上田紀行ダライ・ラマ14世の対談『目覚めよ仏教! ダライ・ラマとの対話』(NHKブックス)もおもしろそうだ。

 

チベット密教 (ちくま学芸文庫)

チベット密教 (ちくま学芸文庫)