山本弘の作品解説(78)「第三病棟」


 山本弘「第三病棟」、油彩、F50号(116.7cm×90.9cm)
 1976年制作。「3号病棟」とも書かれている。1975年、45歳のとき、アルコール中毒治療のため飯田病院精神科に入院した。翌1976年1月に退院したと年譜にある。以後2年間断酒した。退院した1976年9月に飯田市勤労福祉センターで個展を開く。油彩52点を展示、この作品もその折に展示した。アル中治療で入院したのが精神科だったため、変な患者が多かったと言っていた。浴衣をトイレに詰め込んで水を溢れさせる患者とか。
 断酒のせいか神経がピリピリしていて、個展を見に来た古い知り合いが、入ってくるなり今度はいいじゃないかとか言ったことに腹を立てて追い出した。その時虫の居所が悪かったのかとも思ったが、後日展覧会の手伝いをしたことへの礼状をもらったら、そこにも変な奴が入ってきて不愉快だったと書かれていた。
 この作品は飯田病院へ入院していたときの経験をもとに描かれている。どこか狂気を孕んだような人物は入院患者だろうか、あるいは自画像だろうか。背景の激しい筆触から人物の狂気が伝わってくる。
 1995年の東京京橋の東邦画廊の遺作展に並べられたが、その時画廊主の中岡氏が、これは溌墨の技法を油彩で使っている、すごい技術だ、と言ったことを覚えている。その時中岡氏は『広辞苑』を開いて「溌墨」の項を示してくれた。

はつぼく【溌墨】水墨山水画法の一。墨面の濃淡の変化を積極的に用い、筆の線的表現を抑えた奔放な画風。

 溌墨のことは私には分からないが、23年前の中岡氏の言葉はよく覚えている。(溌墨の溌は、本当はサンズイに撥の旁を書く)。
 神経がピリピリしていたと書いたが、このころ、20年以上加盟していた日本美術会を退会し、1964年結成以来の会員だった飯田リアリズム美術家集団(リア美)より除名された。未亡人は会費を払わなかったからでしょと言っていたが、リア美の責任者は態度が悪かったからですと。おそらく態度が悪かったのだろう。喧嘩早かった印象がある。
 この作品は山本の激しい表現の極北を表わしている。以前紹介した「日だまり」のおだやかで明るく美しい作品もこの作品も山本の二面性を表わしている。振幅の大きな作家だった。