『清水監遺作画集』に男3人が写った白黒写真が載っていて、写真説明に「山本鉄男、仲村進氏と(山本弘展示場にて)」と書かれている。男たちは左から山本弘の友人で豊橋の画家山本鉄男、画集の主人公清水監、山種美術館賞を受賞した画家仲村進の3人だ。仲村進は高山辰雄に師事し、日展の理事をしていた飯田市在住の画家。
3人の後ろに4点の絵が並んでいる。いずれも山本弘の作品で、左から「カッパ」4号、「子供」10号、不明、「洪水」6号となっている。すると、この山本弘展は1978年10月に飯田市の中央公民館で開いた山本最後の個展だ。この時記録では55点の作品を展示している。その前の個展が同じ会場で同じ年の1月だったから、わずか9カ月間で次の個展を開いたことになる。すさまじい創作力だ。しかも山本は同じようなテーマでは描かなかった。単純計算をしても月に6点のタブローを描いたことになる。
山本鉄男の作品は見たことがないが、山本弘は彼を高く評価していた。豊橋の画廊では今でも時々山本鉄男展が開かれているようだ。山本弘に分厚い長谷川利行画集をプレゼントしたのはこの画家だ。
この時の山本弘展には私も終日同席していたはずなので、3人に会っていると思うが、40年の歳月はそれらの記憶をすっかり洗い流している。
山本弘は1976年から続けた断酒を2年間で破り、1978年の1月から再び浴びるように飲み始めた。個展会場でもしらふでいることはなく、長椅子に崩れるように寝転がっていた。この個展のあと、1979年のサインのある作品は少なく、1980年はアル中治療のため病院に入院していたので油彩は皆無。1981年4月に退院して7月に亡くなったので、1981年の作品もきわめてわずかだ。1975年にアル中治療のために入院して、1976年1月に退院してからの3年間で大きな個展を4回やり、おそらく200点ほどを描いて、また酒びたりの生活に戻ったのだろう。この最後の3年間が豊穣な年だったのだ。
下の写真は上記白黒写真の「子供」と「洪水」